酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

三好達治

ドアを開けたら息がとまるかと思った。ごうごうと風が吹く春の朝。

寂しさとは死に至る病だな、と呟きつつ膨らんだ桜の蕾を見上げて歩く風の中、三月のはじまり。

風がやんで、時空のエアポケットに入る一瞬がある。不意に陽射しが温かく感じられてぽかりとひとときの春の中にいる。驚くような心持ちになる。爛漫の春がまたやって来るのだということをそのようにして思う。

馥郁と梅が香る。

…大学に入ったころ、近代詩にかぶれた。四季派周辺とか。特に三好達治の詩が非常に好きであった。

やっぱり「測量船」がいい。教科書で有名な太郎次郎の雪国のよりも、「乳母車」とか「甃のうへ」「少年」。

どれも過去を振り返るような心象風景、若さというものの持つ憂いと郷愁に満ちた美しいものだが、中でも私は「乳母車」のテクスト構造は圧巻だと思っている。現在の時間、詩を綴る作者と作中の作者が赤子であったころ、その「私」のまなざしが重なり、捻じれた時空の軸をつくりだす構造。この主体の視点の重層化とブレが、現在の時空のありかたを人生のはじまりの地点から照射する。そして、倍音を響かせるようにして…人生のはじまりに今の虚無とかなしみを逆照射、そのままその深い昏く淡い柔らかな闇をかぶせてしまう。人生を総括するようにして主体は、視点は分裂してタイムワープ、テクストはそのダブった風景を浮かび上がらせる。

憂愁と陰影に満ちた風景は、しかし、それでも、…存在への意志に満ち、美しいのだ。現在は過去に、過去は現在の二重写しの存在となる。始まりに終わりの物語を重ねてみせるときうまれる、そのふかぶかとした情趣。

あわくかなしい、あじさいいろのものの降る風景の中、深紅の天鵞絨を赤子の額にそっと被らせる母。この新海誠のアニメーションのような、それ自体として情趣に満ちた色彩感豊かなヴィジュアル。

次々と畳みかけてゆくような美しい韻律と表現が、豊かな色彩をもつ風景、情景を描き出す。以下のような律動を持つ一節が繰り返しながら、風景と思惟が深まってゆく構造を持つ美文である。


時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
轔々と私の乳母車を押せ…



…今の季節、美しい紅梅を見ると思い出す大好きな詩がある。ぽうと頭の中が痺れて懐かしく切ないような甘いような、じいんとした心持ちと共に。

 

「山果集」より「一枝の梅」。

短いので全文引用する。

 ***  ***  ***

 嘗て思つただらうか つひに これほどに忘れ果てると

また思つただらうか それらの日日を これほどに懐かしむと

いまその前に 私はここに踟蹰する 一つの幻

ああ 百の蕾 ほのぼのと茜さす 一枝の梅

 ***  ***  ***

季節や風景に結び付けられたテクストは、物語は、財産だ。特に若い日に焼き付けられたその風景は。

それは、誰にも何にも侵されない穢されることのない時空間を形成してくれる。永遠に失われることなく心の中に生き続ける、幾度でも思い出され生き直される時空間。

それは、人生を意味あるものとし、それを支える力である。

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