酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

本あれこれ。雑感。

実家避難の週末のパターンとしては、とりあえず町の図書館であれこれ借りこむ。普段なかなか読めないものが読めることがあるのではないかという期待を込めて。

大抵ほとんど読めなかったりするんだけどね。
とりあえず欲張って目についたもの借りてしまう。

こないだ「100分de名著」観てから気になってた、ウンベルト・エーコ薔薇の名前」。おう、あるある、と、とりあえずポン。

最近初めて読んで、そのおどろおどろしい魔力のような筆力に驚嘆した「魚神」(泉鏡文学賞とすばる新人賞を受賞、さもありなんの耽美幻想神話物語系。)の千早茜もちいと読んでみようかな、と数冊。お、吉田篤弘の新刊が出てる、とポン。ここは漫画充実の図書館なんだよなあ、せっかくなら読んでおかねば、と岡野玲子もポン。(岡野玲子はヒジョーにおもしろいのだ。)とにかく開いてみてピンと来たのを読めばいいや、くらいの気持ちで。

薔薇の名前」開く。最初の数行。
うむ、この計算されつくした物語構成、噛み応えのある面白さである、という予感のみでとりあえず挫折して閉じる。最近の儂の知的体力は非常に衰えておる。TVドラマでさえおじゃる丸や朝ドラの15分以上はなかなか難しい、というレヴェルまで気力体力知力すべては落ちているのだ。

漫画なら脳で使う部位がずれてくるので比較的楽に消費できる。

これは「考える」以前の「考えを消費する」感覚の分野にかかってくるのやもしれぬ。100分de名著、とかでも結構そうなんだけど、知を消費するレヴェルと己で言葉にして書き出だそうとする生産レヴェルは重なっていながらもやはり層がいささか違っているのであって、知の消費は現代の万人に大層ウケるイケる売れ筋であるがそして本質であり最も洗練されたものではあるが、やはり泡沫のような消費である、一流で上等においしくつくられすぎているんで、すうっとおいしく味わって、そうして消えてしまうような知なんである。消費者はおいしくそれを頂いて、文句だけいえばいいのだ。

どっこいしょ、と不器用なところから始める生産レヴェルは、神さまであったお客さんの立場から一度新入り丁稚奉公のところまで堕ちねばならぬ、その土台の、基礎のつまんないめんどくさいみっともないしんどさをどっこいしょ、と背負って自分の手でコテコテと練り上げて拵える楽しさとしんどさをenjoyする体力がなければならぬ。それは例えば学部から院にはいったときの変化のような知との関係性の違いである、ような気がする。教授たちの授業の優劣をあれこれ品評する消費サイドから作成する側の裏方へ。

本当のおいしさわかるってのはその上澄みの大吟醸んとこではなくすべてを取り込んだ濁り酒んとこ味わって初めて己の血肉となり、その上でその深い倍音を響かせる天上のエッセンスの最上部分を味わうことをいうってのはわかっているんだけどね。でも雑味に負けてすうっと誰かの調味してくれた消化のいいおいしいとこだけしか取り込めないとき、それはそれで仕方ないのだ。

ということで、岡野玲子。「陰陽師 玉手匣」
いや~やっぱりおもしろいや、これだな、これ。中国の陰陽道なんだか仏教的世界観なんだかなんだかわからなくなった極東日本独自のアニミズムも民俗的な習俗や神話要素もみんなみんな溶け合ったところにある奇妙な異世界。このひとの作品はどうはじまってもなんだか最後にはおんなじように混沌の世界の根源のところにはまりこんでいってしまうタッチがあるのだ。

で、ちらりと吉田篤弘新刊も。

「月とコーヒー」。

1日の終わりの寝しなに読むための小さいお話、短編集。
これくらい短いものなら衰えた読書力でもいける。そしてやはり吉田篤弘好きである。心のトーニングをして穏やかな心持ちで眠るための魔法の一服。

生きるために必要なのは太陽とパン。だけどやっぱり魂に必要なのは月とコーヒー…っていうコンセプトでね。世の中の隅の方で生きる人たちのお話。

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