酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

珈琲屋

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西荻におもしろい珈琲屋があるで、と教えてもらったんで、週末のそのそと行ってみたらほんとにおもしろかった。

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看板がなければ住宅街の中のただの個人宅である。実に入りにくい。
普通にひとんちの玄関である。実に入りにくい。

ノックして
「すみません。こんにちは。」
「どうぞ。」
「おじゃまします。」

靴を脱いでひとんちの狭い廊下に上がりこむ。…店主、スターバックスの女の子のようにラブリーな愛嬌をふりまいているとはとてもいえない愛想のない青年である。いや別にアレをやれとは言わないが。でもさ。

…などとじくじく(忸怩たる思いっていうのとじくじく思い悩むってなんか通じてるよね。響きが。)思いつつ多少怖がりつつ。

暗い狭い階段をギシギシのぼって二階へ。二階の灯りがほのぐらく明るい。

のぼると視界が開ける。視界は広い。

が、あれこれと小さな宇宙が集まったような、あちこちで独立性を保つ工夫がしてある、みんながみんな隅っこでそれぞれの個別の空間を守りながらどこか時空を共有できてるほのかな共有感、柔らかな共同体、そんなリビング空間。

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そして畳なんである。イヤ実にただのひとんちである。ふるいふるい昭和の懐かしい誰か友達のおうちに遊びに行ったような既視感、タイムトリップ。

そして客がいない。ひとりである。(寂しいんだが。少し怖いんだが。)(でもちょっと嬉しい。)穏やかな週末午後のとろりと静かな光がやわらかく薄暗い室内に差し込んでいる。

ここがいいかな、と窓際の席に陣取って靴下まで脱いじゃったりしてどっこしょー。

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店主がやってきて本を取り出した私のために灯りをともしてしずかなしずかなジャズ・ヴォーカルをかけてくれる。

珈琲は各種。オリジナルブレンドを頼む。

…階下の台所の気配、柱時計の音。私のための珈琲を淹れる音。なにもかもから切り離されたような不思議な時間である。

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写真も会話もたばこも「控えめに」。
だけどね、誰もいないもんね、と、こそこそひとりのときあちこち覗き込んでは写真を撮りまくったのはナイショです。おいてある本に奇妙なシンパシー。趣味が知れるよな、漱石に賢治、稲垣足穂梶井基次郎中原中也クラフト・エヴィング商會までおいてやがる。ああ中央線沿線。

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だけど今日の本は持参したもの。鞄から取り出して最初の頁を開いたらいきなりひきこまれる濃い文章。とっても不気味でおどろおどろしい、しかしやたらとおもしろい物語だったので、店と本の内容がなんだか頭の中で結びついてしまったよ。異界である。
(ホントは畳のすみっこに寝転がって読書したかった。クッション抱えてゴロゴロゴロゴロ。)

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連れて行ったグリ・ムーンとグラ・ムーン(満月の夜、月から降り落ちてきた流離の用心棒、歌って踊れるムーン・ブラザーズ。名づけの物語に協力してくれた友人たちに感謝。)も気に入ったらしい。ほの暗さが。

(ヲイこれ中也の詩集だぞ。フンしょうもねえな。)
(…兄貴こないだ夜中ひとりで読んで泣いてたようだが…)

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会計を済ませて「ごちそうさまでした」と出るとき、店主が一瞬だけほのかな笑顔を見せてくれた。ドアを開けるときの鐘の音、結界を越える瞬間みたいな気がしたよ。ちりーん。

街は迷宮であるとよい。街の片隅、路地裏の小さなドアを開けるごとに別の宇宙が広がってゆく。森見登美彦の描く京都の宵闇万華鏡のようなおどろおどろしい異界のものではなく、吉田篤弘が描く東京の中央線沿線の街がよい。優しい懐かしい傷ましさに沈潜してゆく。レコードと珈琲と本と音楽の静けさ。