酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

「100分de名著~ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』」

「100分de名著~ウンベルト・エーコ 薔薇の名前」観終わってため息。

この番組当たり外れがあったりするけど基本的にうまくできてて、時折滅多やたらと面白いアタリに出会う。

カミュ「ペスト」でハマってびっくりしてだな、とりあえず録画ため込んでたのだな。なんだかなかなかみられなかったんだけど観始めたらやっぱりおもしろくてつるつるみてしまう。最終回は怒涛のクライマックスわくわくドキドキ大興奮の面白さであった。

薔薇の名前」って有名で、タイトルと難解であるっていう評判しか知らなかったけど、この番組での解釈がよくってぞくぞくした。記号論沿いの思想をもって図書館の知と笑いの関係をミステリ仕立てにした小説ってラインの解釈でな。エーコはもともと記号論の学者さんなのだ。

ヴィトゲンシュタインの「語りえぬものについては、沈黙しなければならない Whereof we cannot speak, thereof we must be silent.」に対してこの小説は言う。「理論化できないことは物語らなければならない。」ということで記号論の限界は物語に託されることになる。

イヤもうツボどんぴしゃな切り口、これは~っ思ってたら最終回のゲストは中沢新一。ううむ納得。

中沢氏、エーコがTVの教育番組プロデューサーをやってたことに注目し、作品をめぐっての解釈の中に、現代のマスコミのありかた或いは番組制作という演出行為による「『真実』のプロデュース」という構造の観点を導入してみせてくれた。

このSNS時代、あらゆる言説がこの「語りえぬもの」を語り続けようとする。エーコはこの「薔薇の名前」の修道僧ウイリアムと弟子アドソの議論の中にひそませた記号論で、書物という知、その恣意の構造を明らかにしようとしているのだ。「記号(言説)は対象そのものを語るものではなく、そのことについて語ろうとする物語、意志、意図を語っているに過ぎない、というようなウイリアムのセリフがあった。図書館(知の世界)とは書物(記号、言説)が書物(記号、言説)を語る、書物同志が、概念が堂々巡りしながら語り合っている場なのであって、実は語られている対象、真実、真理を語るものではない、というようななぞかけのようなある種の比喩を以て。

 *** ***

しかしこれ原作読むのは結構な大仕事になりそうだなや。とりあえずちらっと覗いてみるか…。なにしろ興味深いのは「知」と「笑い」の関係性。知の功罪、その両義性、笑いによる知の権威の破壊、或いは両者共通の、或いは共謀の可能性を探ることによる止揚への模索。

(私は考えている。知はただそのままで笑いでありうる、と。)

ミステリ仕立てのための素材となるのは中世の修道院を舞台にしたところにある禁忌、権力、異端と正統。権力は己の正義のために悪を、異端の物語を作り出す。これって現代の、(そして古今東西に遍在する)正義づら大好きびとたちがSNSを炎上させる原理とおんなじなんだって視点があったりしてさ。

本筋としては、スリリングな修道院連続殺人事件の犯人捜し、この真犯人(そして鍵を握る一冊の書物~笑いについて言及したとされる幻の禁書、アリストテレス詩学」第二部)が「真実・現実・真理」の比喩となり、あらゆる「世界の痕跡=記号」をたどることによって名探偵修道僧ウィリアムの快刀乱麻な推理力が謎に包まれたその真実にたどり着こうとする、「知」をめぐるミステリとして読めるんである。(助手は弟子のアドソ君。物語のスタイルは、彼が年老いて、過去を回顧録的な記録として書き綴るものである。)ラストのどんでん返しがいやまたなんというか…(解説者たちがここでワイワイ盛り上がって見せてくれて楽しかった。)

ちょっときちんと考えたいな。このあたり。

ラストシーン、まさに手中にしたその瞬間炎上し永遠に失われる真実(隠されていた禁書、アリストテレス詩学第二部を読み始めたそのとき、書に火がかけられる)。ごうごうと炎は大きく燃え広がり、ぼろぼろと燃え落ちる壮麗な美しい図書館のシーン。この知の殿堂、砂上の楼閣。すべては現世の権威の大聖堂に飲み込まれてゆく…。

こういう同じイメージを、そういう言葉を昔確かにどこかでみたんだ。誰か哲学者の言葉、思い出せなくてもどかしい…真理とは、目にした瞬間燃え上がってしまうようなもの、というような、まさにドンピシャこのイメージであった。

…なあんてことをつらつら考えて夜の世界の中で机の灯りに灯されて、ひとりぼんやりうっとりしている桃の節句。泥酔の中の幻のような丑三つ時。

(中沢氏、少しお年を取ってきておられたが相変わらずのお洒落っぷりだ。)f:id:momong:20190302204242j:plain

近所の河津桜の大木、毎年見事に咲く。今年ももう満開だ。この下は一面の菜の花。f:id:momong:20190301143132j:plain

f:id:momong:20190218145459j:plain