酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

PAPA

日曜の朝、明るい日の光のあふれる縁側に一式広げて、座布団に座り込んだ父は自慢のカメラ道具の手入れをしていた。ビクターの犬のマークのくっついたステレオからは重厚なクラシック。これも自慢のレコードコレクションだったんだな。こんもりと小ぶりな樹々の茂った小さな庭を背景に、すべては金の光に縁どられていた。

私はその風景が好きだった。

朝もやがけぶるような記憶の向こう側、幸福な日曜の記憶である。

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年末、実家に帰ったら父が年賀状のあて名書きをしているシーンに遭遇した。パソコンの印刷機でもできるんだけど、毎年宛名だけ愛用のモンブランの万年筆で一枚一枚書いているんだという。ゆっくりと、インクつけつけ書いている。さながら明治大正の文士である。

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…ふうん、実はわが父、意外とスタイリッシュというかクラシックなこだわり持ってたりするんだな。

「そう言えば、パパ昔蔵書印ってもってたよね。職人さんに拵えてもらったっていう立派なやつ。」

と言ったら、あるぞ、と持ってきて、その辺の時代小説文庫本に押して見せてくれた。(最近炬燵で時代小説ばっかり読んでるらしい。母がもっと教養のあるもの読んでくれればいいのにとこぼしていた。TVは時代劇、歌は演歌、本は時代小説である。)(古い洋画や西部劇、イーストウッドやメリルストリープなんか好きらしい。そして実は古いルパンやジャングル大帝なんかも好きなのを私は知っている。母との初めてのデートは「101匹わんちゃん」だったという。)

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そうしてそれから、そのころの世相のことやなんかぼちぼちと話してくれたりしたのだ。

あれれ、と、そのとき私は不意に周りの風景の時空がずれてゆく感覚を覚えた。物語の時空が現在に繋がり重なってゆく。既に終盤にさしかかっている父の、その歩んできた人生の。遷り変わる時代の。

父の物語。

そういえば、今まで、あまりなかったんだな、父の思い出話聞く機会っていうのは。

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冒頭の日曜朝、記憶の中の風景のリアルに関しては不確かである。脳のねつ造やもしれぬ。たくさんの記憶の積み重ねが合成され一枚の写真へと結実したもの。…あれは朝食の後だったろうか、前だったのだろうか。

日曜の朝ごはんは遅くて、そうしてご馳走だった。ウィークデイの朝はせわしなくて、メニューもトーストやシリアルだったけど、日曜の朝だけは家族四人でゆっくりと遅めの朝食膳を囲んだ。(夕食もね。カレーライスにレモン水、サザエさん観ながら。)炊き立てのご飯に豆腐や若布のお味噌汁、ほうれん草のおしたし、しらすやネギ、生卵に海苔に大根おろしごってりフルヴァージョンの納豆、甘い甘い母特製のたまごやきにたっぷりの焼きのり、魚の干物にきんぴらごぼう、高野豆腐、たくさんの母の手料理が並んだ、旅館の朝みたいなご馳走だった。

大体が、日曜の朝というのは幸福な時間帯なのだ。

小学校入学前と後の記憶のミクスチュアである。
私の人生はまだ始まったばかりといってよい程度には新しいものであり、そのとき未来は考えるべくもなく当たり前に無限であった。世界もまた果てしなく無限に広がるべき可能性そのものであり、それ以外の意味をもたなかった。そう、未来と世界が無限で限りない、無尽蔵の豊穣としての資源であった贅沢な時空なんである。

父がカメラのお手入れをしているその時間は、家族皆が同じ家の中で安心してそれぞれ好き勝手に個の時間を堪能している多様性と一体感のその距離感、そのゴールデンなバランスの表出した時空の象徴として私の中にある。満ち足りた休日のはじまり、安定した日常のセーフティネットに支えられた束の間の迷子、それでもそれはやはり嘘ではない、個の時間の自由。休日の自由。読書や未来を夢見る遊びにふけり、異界とつながるコドモの無限のファンタジーワールドの想像力を育む時間。非日常と孤独の深遠につながる個の意識。おぼれないための命綱をつけたままの魂の飛翔の自由、それは解放、可能性の無限というレイヤーを意識の下に育ててゆく。あたたかく守られたままの意識というその矛盾を内包したままの。

ムーンライダーズ鈴木博文の歌う歌「幸せな野獣」で「無理やり(Hey、hey♪)自由を着て愛を脱ぎ/結局(Heyhey♪)いつからか金縛り♪」っていう歌詞があるんだけど、そう、確かに愛と自由は相反するものであるが、それでも、ある意味卑怯な形であっても、こんな風に止揚することだってあっていいのだ。できるのだ。

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大学に入学が決まった春休みのことである。

いろいろ節目なんだ、とハナイキ荒くした私は新しい人生のステージを新しく設定すべく、とりあえずあれこれと部屋を整理した。で、押し入れを探っていて父の段ボールを発見したんである。主に父が大学生だった頃の文庫本やなんかを詰めたものだった。へえ、こんなの読んでたんだ。と、おもしろそうなものを探して漁っていたら、一冊のノートがそこにまじっていた。

日記である。

へええ。

そりゃあもちろん読むでしょう。
…熟読した。

まあね、それほど大したことが記録されていたわけではないんだけど。今はもう具体的な内容は忘れてしまったんだけど。でも。

父の丁寧だけど少しクセのある字で几帳面に書き記された内容は、時代の匂いを色濃く映した、当時の大学生の世相や、その一人だった父の、私の知らない一人の若者の言葉で世界が紡がれていた。 

不思議な気持ちだった。
父は私が生まれたときから大人でパパだったから、パパではなかった時のひとりの人間、ひとりの若者であったパパという現実感はもう、なんといえばいいだろう、考えようとすると世界が分岐してしまうのだ。これはもう別の時空の別の物語。

私の存在していない世界という現実、その設定からして私の存在をすでに超越しているのだからそれは蓋し当然であるともいえる。

ひとつおぼえている。
父の母、私のお祖母ちゃんに関しての記述だ。

 

父は高校卒業前の引っ越しの関係で転校がうまくいかず高校を卒業していない。大学検定を受けて大学に入学した。当然浪人して予備校に通っていた。

当時家は裕福だったわけではなく、祖母は苦労して父を大学に入れるべく奮闘してくれたらしい。その苦労を思う記述を書き連ね、「僕はこれからお母さんにうんと孝行しなくちゃあいけないんだ。」などとジョバンニのような口調でその日記を締めくくってあったのだ。

父は、そんな風な「気恥ずかしい道徳的な正論」を人に向かってしゃあしゃあと語るにはシャイすぎる人である。どちらかというと、ちょっとひねくれたようなものいいで、強がったり悪ぶったり斜に構えてかかる。権力をかさにきた態度が嫌い。自分が上にいて正しい人間であることを振り回して威張ったり逆に責任を持ったりする「大人」であるようなことを恐れる、という印象がある。また上におもねって出世しようとするような心根を最も恥とするような漢気を愛する、いわゆる在野精神を根底に持っている。出世しないタイプである。そして思うにこれは彼が時代劇を愛好する所以である。

…だから私はこの文章に驚いたのだ。

若い時は違っていたのだろうか。社会人になってスレてしまったのだろうか。或いは日記という場所だけに表す秘密の告白めいた一つの本音としてのエクリチュールなんだろうか。わからない。いずれにせよ、思うにこれはエクリチュールの本質としての神秘である。

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私は大人になってから(イヤ精神的にはお子ちゃまのままですが)実は父とは折り合いが悪かった。今、家を出て年月が経って始めてその父の若い頃のさまざまを少しずつ聞く機会を持てたのだ。

来し方行く末を思うこの年末年始、儀礼、お正月、家族。その歴史や物語、巡る螺旋のような一年のサイクル、さまざまの絆の確認と再創造。

 人間として、父としてのたくさんの物語のことを、なるべくたくさん聞いておきたいという思いを持った。私の中にその遺伝子を新たに移植したい、父を個として成り立たせているもののその成り立ちと、自分につながるものとしてそのルーツと分岐点を、私を私として成り立たせている成り立ちと物語の複合の構造、世界との繋がりとあり方の無限の多元宇宙の豊かさとして認識してみたい。すべてはその有機的な関係性の構造の中で支えられ暖かく包まれ、セイフティネットにまもられている…そんな曼荼羅な物語の豊穣の中に存在してみたいなどと思ったりしたのである。

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お正月ってのはそういう特別な思いを抱くレイヤーを常に日常の上位に置いておくための、新鮮な非日常のために巡る儀礼時空間なのだ。古今東西の文化共通の、プリミティヴな、或いは根源的な機能として。…多分ね。

ちょっとダンディでスタイリッシュ、当時の洒落者っぽい嗜好の一つ、父のかっこいいサイン。子供の頃、これ、憧れて自分もサラサラっと書けるようになりたいなと思ったものだった。字がヘタで、いくら練習しても自分にはこんな風なのはできなかったけど。

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