酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

漱石忌

毎年12月8日には、太平洋戦争開戦の日であることととジョンレノンが狙撃された彼の忌日であることをしみじみと思い出す。

8月の壮大なセレモニーが行われる、あの惨劇に向かった戦争がはじまったこの日は誰も何も言わない、意外と知られていないので、ひとりひっそりと想像する。レノンの周りの人々、そしてニイタカヤマノボレ、トラトラトラの周りの人々。時代の匂いのこと。

底冷えのする静かな12月、奇しくもその日がレノンが銃殺された日であることを何かの符号の一致のように毎年考えてしまう。

何にしろ、なんだかココロは「戦争と平和」。
始まりと終わり、夏と冬、戦闘モードと平和モードの変遷。殺戮。過去と現在、未来のつながり。すべては人の心の中にあったもの。それが拵えあげたモード、さまざまに拵えあげられる歴史というもの。

 

そして翌日は、さらにひっそりと、漱石忌

大学時代、私がハマったのは、問答無用にまずは力技でヤラれてしまう漱石と賢治である。

文学部の中ではハナで笑われてしまうような、ミーハーで浅はかであると思われてしまうような嗜好ではあるんだが、正直言って実際そうなんだから仕方がない。(周囲の人間はもっとツウ好みの渋い文学部マニアック指向の嗜好をもっていた。普通の人は知らないだろう、読んだことないだろう、というような、教科書の文学史で名前だけ知ってるような。専門家らしくて学者さまぽくて憧れるけど羨ましいけど仕方ないものは仕方ないのだ。)

全然全く畑違いの二人ではあるが、共通している点を挙げるとすれば、いわゆる当時の「文壇」とは距離を置いていたということ、漱石は、だから文学史的には「余裕派」とかいうところで独自の理知的な文学として、他とは離れて置かれた場所に分類される。要するにものすごい個性的過ぎて分類できないのだ。賢治や漱石のキイ・ワードは「異端」。(鴎外もそう、「高踏派」とか言って、まあ当時主流であった自然主義とはまったく縁を持たない、それに影響されないところにあったということで。私は鴎外はさっぱりわからんし好きになれないしおもしろくない。正直言ってどこがいいのかさっぱりわからない。美文である(そして達筆である)(字の美しい人間には共感できないというジンクスのような思い込みが私にはある。)ということしか良さがわからない。とりあえず一生懸命読んでみても「だからなんなんですか」としか感想がでてこない。…読み込んでないせいなんだろうけど。)(私のゼミの恩師は漱石より鴎外の方に惹かれておられたが。)

で、二人とも、(賢治と漱石)戦後の教科書で育った我々にとってはまるで近代文学を代表するかのような世界的な文学者、文豪としての英雄的偉人という常識のようなイメージが持たれている。その秘密ポイントは教科書や戦後教育のとこにあるんじゃないかという気もするんだけど。

で、学者とか専門家とか一部の愛好家だけじゃなくて、ジャンルを超えたところでの一般人に熱烈なファンが多い。

一般人の人生を大きく揺さぶる力を持った一般人のための英雄なのだ。アカデミズムの塔にたてこもる文学者のためだけのものでなく。生活し思想する、その日常の中での人間の感性に訴えるところにある普遍性。文学のアルケー。(初心、ってことなんじゃないかねい、その持つパワーの源泉、思うに。アルケーって語感は。)(中沢新一的解釈)

でもまあ天才は天才。

誰もが思うけど誰も言葉にできなかったところを言葉にして見せたという天才。りんごが大地に落ちることにショックを受けたニュートンみたいな素直な感性を持っていた天才。

で。

まったくちがうんだけど、実際どこがどう違うのかな、ととりあえず考えてみた。彼の忌日に。そしてひねくりだした。

ざっくりメモ。

宮澤賢治は感性寄りで、夏目漱石は論理寄りである。
いわゆる右脳と左脳で、賢治が右脳、漱石が左脳。

だけどね、ベースはやっぱり共通なのだ。幻想の「現実」という物語の枠組みの恣意性を見極め超越し、個と集団、理知と感性が一つであるフィールドに二人とも足を突っ込んでいる。「異界・幻想もの」への傾向がその共通点を示している。賢治の方がより「向こう側」にイっちゃってる。漱石はそこに憧れながら壁を越えられないところで激しく苦しむ。そしてアカデミズムとは実はそこのところから生まれるものであると私は思っている。芸術論、文学論。

私は賢治よりも漱石にシンパシーを感じるのだ。ものすごく痛ましい。が、ものすごく面白い。私にとって賢治はまばゆい驚愕の対象であり漱石には共振するところにいる。賢治の方が天才と言えば天才であり、「向こう側」への感性に素直なのだ。詩人。言葉は彼にとってふわふわと踊る世界をつなぎとめるくさびとしての性格が強い。だが漱石は言語によって論理を構築する。…彼の幻想は美しい。「夢十夜」や「倫敦塔」のロマンチシズムはたとえようもなく深く美しい。…それは苦くて重い大人の悲しみからくるから深いのだ。子供の感性を持ちながら大人の楔を打たれ逃れられない者。

だが賢治のもつ美しさは違う。純粋な喜びだ。子供の喜びなのだ。だから、憧れる。

 

ざっとね、そんなことを考えた。忌日だから。なんとなく思ってたこと。これから考えられそうなネタになりそうなこと。

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今年のミッションだったラ・プレシューズのモンブラン。栗だった。メレンゲもクリームもとってもよかった。感動した。これで安心して今年を終えることができる。