酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

断章(旅想・無声慟哭)

冷たい雨が降っている。

蕭々と降る雨に込められた古い静かな都であった。
延々と寂しく暗い川べりを歩いていた。

夜か昼かもわからないような薄闇の午後である。暗がりに白い灯りが灯っている。ぽうとやわらかく光りながらそれはたたずんでいた。白鷺になって川べりに降り立ったもの。

白鷺?考えるために私は立ち止まる。

水面を見つめるだけの白鷺というオブジェ。オブジェなのだろうと思っていた。静止画の中にたたずんでいたそれは、だがやがて重たげに身体を揺らせて飛び立った。

私の考えは少し驚きながらそれを追う。

佇んでいるとき、また高く飛翔しているさなか、彼は安定している。
地上に縫い留められた泥のような安寧の中に、或いはくびきと重量を完全に失った高みの中に。

そう、高みにあるとき、気流の中にその存在は調和している。己の翼の力強さに己の重さは凌駕され、ただ眩い光に包まれた限りない自由、ゼロとなって存在する。

だが、それが地上から飛び立とうとする瞬間には、繋がれたくびきや苦しみを引きちぎる苦しみのかたちが露呈する。地に固定され縫い留められたかたちの物語の中にあって隠され見えなかったその顕わな姿。顕なそのしがらみ、そして自らの重み。

決意に満ちた力強い滑走からテイク・オフの瞬間(あの瞬間が大好きだ)、そしてはじまる航空機のあの揺らめくような非常なるあやうさ。

飛行が軌道に乗るまでの、天と地の狭間にあってすべてを失う危険のメディア空間に彼はいる。奇妙に肉感的な重量感を苦しみながら翼はひたすら危うい頼りなさを燃やし尽くし激しく躍動する。隠されていた重さ、安寧の中麻痺させられていた感覚、常に己自身の重さ、周囲と絡み合いしがらんだかたちの重さとたたかっていたのだという事実の側面が露わにされる。地上の恩愛を、苦しみを、その重みを全て捨てて解放され輝く幸福だけの軽く、軽く、儚いイデアを目指す。自我をなくしたその先に還元されるということへの、そこへ飛翔しようとするときの、その葛藤を。煩悩を執着を。執着のその功罪のことを思いながら、その価値をことを思いながら、リセットする。断ち切る。ひとつの幸福のかたちを断ち切る。

そのときどこかが血を流している、その痛みに涙を流しているのを感じている。それは自分なのかそうではないのかわからない。確かなのは、天と地の双方を知ることができるのはここでだけということだ。

 

…賢治が最愛の妹を失った嘆きを謳った「無声慟哭」。
そこでは、死んだ者の魂が白く輝くその鳥となって地上のすべての重さのくびきから逃れ光の天へと旅立つのだという。地と天を結ぶ白い光の鳥。ひとすじのひかりの水脈を描いてとんでゆくものを残されたものは魂を半ばもがれもってゆかれるような痛み、寂しさと憧れのなかに佇む。

蕭々と降る氷雨の中ひっそりと佇む白鷺は、地上のすべての重量をその身に集め、浄化しながらほのかに白く発光する。来たるべきその瞬間を思っている。
旅立ちの。

凍るような氷雨に空は昏くたれこめている。

傘をさして、私はそれを眺めていた。この世と、違うところの境にいるものを見ている。時間の次元のズレた二重の風景。


我は我が旅の空を眺め、ほのじろく光る鳥を見ていた。
ただ傘をさして、この世ならぬ光景の中にいた。

夜が来る前に、宿へ帰ろう。ひっそりと古い街をそぼ降る雨の中。