酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

信仰

なんかあれこれいっぱい書きかけてるんだが、言葉がどうも降りてこない。ダメである。

で、今日は火曜日なので、何か宗教を信じたいなアと思い、あれこれ考えてみた。

古来の宗教でも新興宗教でも何でもよい。
だが苦行はイヤである。地下鉄にガスをまくのもイヤである。(そんなことするくらいなら自分で吸う。或いは教祖さまと一緒に吸う。平和である。平和大好き。)(ミッションとか任務とか役割とか楽しいかもしれないけどさ。やめときたいよなやっぱし。)クスリを使うのも憧れだが入手できないとか違法であるとかも面倒で不都合である。コカとかカヴァカヴァ(これは試したがダメだった。)とかナントカマッシュルームとかそういうのがいいんだけど。護摩を焚くとか。(LSDとかコカインはダメ、絶対。何故なら、コカは自然食品でコカインは加工度の高い加工食品だからである。いわば玄米と白米の違いである。加工度の高いものは人間の浅知恵なピュアな美学の快楽ばかり追ってるから害がデカい。ハマったらおしまいなやつ。)(まあなんでもハマったらおしまいである。)

インドまでお出かけする力もないし。喘息持ちなので基本煙を吸うのはダメである。大麻はタバコを吸えない人間には難しいらしい。(お香はとっても好きなんだけど。)第一バッドトリップ怖すぎる。(BANANA FISHよみなおしたばっかりなんで今やたらとコワイのだ。基本怖がりの事なかれ主義、危険な賭けはしません。)

で、取りあえず麦酒を飲んでるんだが。

ううむ。何もしないでスコンと悟ってスコンと救われたいんである。スコンと昇天したいんである。まあ神とはそもそもそういうもんであって、無限の贈与であり、限りない赦しであり愛であって、そうでなければ神とは認めないんだけどさ。ウン。確かにさ、どこでもなんでも「叩けよされば開かれん。」なんだけどさ。(でまあそれって中沢新一に言わせれば「自然」そのものみたいな気もするんだけどな。)(無限の贈与)(そしてきっとそれは非人情)

…いやそうなんだけど、だから問題は扉をたたくことができないっていうとこなんである。そこが一番難しいとこなのだ。

で、あれこれとないアタマを絞ってみたんだが、思うに、一番楽なのは、唱えるだけで救われるというアレ、賢治も愛した法華経なんではないか。(アレは苦行を伴っていたが。)

南無妙法蓮華経でんな。

内容なんかに拘泥しない、とりあえずお題目、内容なんかどうでもいい、信じます、ホトケの教えに帰依いたします、という意味であり、まあこれをひたすら問答無用に唱えるだけである。「信じますー信じますー。」

そうすると救われるというんである。
…一番よさそう。本質である。

これは是非やってみなければならぬ。
まあそれだったらレナード・コーエンの「ハレルヤ」を歌ってもいいんじゃないかなあなんて思ったりもするんだけど。踊りながらだったりするとより一層ご利益があるような気もする。

 

で、思ったんだけど。

レンゲってどうしてレンゲなのかなって。
ラーメンのスープすくったりするアレね。

調べてみたら、やっぱり蓮華の花の花びらに似てるからだって。まあそんなとこだろう。
しかしラーメンのスープひとくちすするごとにいちいち救われてしまうというのも何だか大変なことであるな。(でもいいかも。ラーメンスープひとくちすするごとに法悦エクスタシー。スープ一口ごとに永遠の生命がひらかれ、蓮華の花が降り天樂が鳴り響き心は輝かしい芳香に満たされる…)

 

…まったくしみじみしょうがねえなあ、生ける屍、社会のクズだなやオレ。

そういや高校二年か三年のとき、(BGMは舟木一夫「高校三年生」)一時期Z会っていう通信教育やってたんだけど、常に上位にハンドルネーム「にんげんのくず」さんってのがいて、このネーミングセンスがとっても気に入ったものだからいつも彼の順位を何となく気にしていた。毎回常に全国トップクラスな。当時たしかZ会っていったら難易度が高くて上位に名をつらねているような人たちは軒並み東大行くっていうことだったから、この「にんげんのくず」さんが今どうしているかなあと考えるとなんとなく楽しい。「にんげんのくず」を己のハンドルネームにするセンスと自覚をもったままその悪魔のようにキレる優れた頭脳で日本を切り回していてほしいものだ。(ワシも一応多少食い込んではいたこともある。成績いいと図書券とかもらえるのが嬉しかった。)(図書券は決して参考書なんかには使わない。必要最低限の参考書だけ親に買わせ、己の図書券はもちろん漫画や雑誌や小説に使うんである。)

 

それはともかく(何がそれはともかくだ。)、夕方ね、締め切りだからあわてて本返しに行ってさ、久しぶりに図書館で柄谷行人見かけてすっかり忘れてるなあとちらっと見たらものすごい思わせぶりなこのやろうな言葉遣いで、ムカっとしたんだけど、(何が「意味という病」だよ。…気になっちゃうじゃないか。)なんかちらっと読んだらなんかやっぱり嫌いじゃないなとか思ってつい借りちゃったり、(きっと読まない。)富安陽子の「サラとピンキー」新刊読んで豚のぬいぐるみピンキーとサラちゃんがヒマラヤで雪男とアイスクリーム食べる話もええのうと思ったり、川上弘美の新刊チェックしそこねてた、とリクエストしたり。おうちで岡崎京子だの春樹だの足穂だのちらっとひらいてなんかしかしあれこれつまみ読みしても何にも集中できず、どれもこれも素晴らしいんだけど。(こいういうとき敢えてバイブルには手を出さない。)(我がバイブルは安房直子、或いは三好達治周辺。)

 

カントのね、「わが上なる輝ける星空とわが内なる道徳律(Der bestirnte Himmel uber mir, und das moralische Gesetz in mir)」って言葉大好きでさ、これって構造的に法華経の理念とまったくおんなじだよね、とか思ってるんだけど、インド哲学アートマンブラフマンとかさ。(ここでBGMは戸川純「恋のコリーダ」。煩悩の船で~業の海をゆく~♪秩序崩壊の 夢を見ただけ♬ 胸中深く轟きて 声が聞こえる血潮の声が♬呼んでいざなう混沌の ブラフマン的大宇宙~♪)(この歌は「床の血痕拭いつつ♬子供のころを思い出す♬打撲に歪んだ男に比べなんて静かな一日の訪れ~♬」っていう朝の風景に非常に惹かれるんである。「レインボー戦隊ロビン」の主題歌に乗せて歌われる勇壮なリズムとメロディで雄々しく歌われるこのイメージ。なんだろうなあ。世界の果ての、世界の終わりの朝というか。始まりの朝と終焉の重なりの奇妙に白くて静かな明るいイメージっていうのが好きでね。鈴木博文の「朝早い死(Early Morning Dead)」がなんか優しい死に方の理想形みたいな心象風景として刻み込まれているんである。朝、老婆がひとり道端で死んでるっていう風景。)

 

時折その実感をまったく見失っちゃうのよオレ。カント先生。

 

…はよ寝よ。おやすみなさい春よ来い。