酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

年末。知人宅訪問

年末である。改装中だということで、荷物がたくさん積み重ねられていた。
お邪魔します、と靴を脱ぐ。どうぞ、とリビングに通される。

リビングのドアの前、ちょっとどきどきした。

確か高校を出たばかりの頃。賑やかなパーティで、皆で押しかけた。うんと華やかにセッティングされた食卓、うんとピカピカでゆったりと広かった記憶のあるリビングである。あの頃のさまざまの思い出がそこに凝縮して、遠くほのかに煌いているような、その記憶に重なる場所。中央線沿線、駅にほど近く、閑静な住宅街。

…ドアの向こうには、ひっそりと静かな12月の午後があった。壁に作りつけの食器棚、ダイニングテーブル、大きなテレヴィ。ごく普通に居心地良くしつらえられた穏やかなリヴィング・ルーム。けれどもそれはなんだかあのときより小さく見えた。私が大きくなったわけではないのにどうしてだろう。世の中が小さくなったのだろうか。脳による記憶の歪曲や捏造のリアリティを思う。

うさぎ穴の中でアリスが自在に巨大化したりこびとになったりしたように、記憶の視界はその自在な視点と自体の可塑性をもって都合よく変成されてゆく。世界が自在に伸び縮みする、変容する、その不安で怖くて楽しいような、奇妙にくらくらとめくるめく夢に入り込む感覚。

 

布団を敷いてうとうとと眠っていたのだという。少し寝ぼけ眼のままもしょもしょと部屋を暖めてくれる。

もうじき夕暮れである。ひたひたと肌寒くなってゆく。ひっそりと静かなおうちの中はブラインドを引いて薄暗い。少し寂しくなった。

上等の舶来の葡萄酒なんか開けてくれる。濃い紅の液体を注いでくれる。とても濃い、異国のふくよかな時間が注がれる。静かな食卓に凛と透き通ったリーデルのグラス。とろりと眩暈がしそうな時間だ。濃い紅の液体。

乾杯。

おいしい。うん、おいしい。
少し笑う。

柔らかな会話。昔のことや最近のことやお正月の予定や、それから、これからの人生や世界や、それからぽつぽつと、さまざまの世界の描き方や考え方について。

お部屋を見せてくださいよ。その思い出の部屋、二階の。
ダメだよ、今は改装中で荷物がおいてあるだけで、何にもないから。

あそ。
…それでよけりゃ見てみるか?

シギシと鳴る古い木の階段を上る。

暗い廊下には段ボールの荷物、ひんやりと薄暗く寂しい改装中。人の暮らしの気配が途切れている。

…けれど、その部屋のドアを開けたとき、優しい明るさがぽかんとひらけていて、目を打った。思わず瞬きした。いやその風景は寧ろ胸を打ったものだから。

初めて訪れたその二階の部屋は本当に素敵だったのだ。

あのときの気持ちをあれから幾度も反芻している。
永遠に反芻していたい。脳がそれを消化し何らかの捏造記憶を深々と広げ創作してゆくように。ずっとずっと永遠に残る私だけの世界の記憶を。

彼が子供時代を過ごした部屋の、その思い入れを、その部屋の思い出を語ってくれたその時間。語られながら、私はその物語の時間の過去と現在と溶け合わせ、それをカプセルにして、まるごと魂の深奥に押し込んで熟成させている己を感じていた。

隣にはばあちゃんがいた。こたつがあったんだ。おれをひどく可愛がってくれた。
こっちの隣の部屋には、姉ちゃんがいた。死んじゃったけどな。

窓の外は、美しく澄んで、緩やかに黄昏行く12月の明るい夕暮れ。淡い白い半月がうっすりと浮かんでほのかに輝き始めていた。類稀なる澄明、その空はもうどうすればよいかわからないくらい透き通っていて、それはもうそのとき宇宙一清く澄んでいたのだということを私は断言できる。

改装中だというがらんとしたその部屋で、人の思い出は生き生きとよみがえりながら現在にひらめき溶け合い違うところへ消えてゆきながら夕暮れの宇宙を形作る。物語は語られるごとに語られた場所を巻き込みながら変容し深化してゆくものなのだ、ということに私はまた気づいた。今までだって気づいていたことをも思い出した。こうやって繰り返し新しく何度でも気づき続けてゆくのだろう、未来永劫、時間というものはそうやって私にやってきて流れてゆくのだということを。

その部屋が己の歴史のヴィジョンを私に伝えようとしていた、私の存在の内部に私の感官をとおしてそれが沁み込んでいった。部屋と私は交じり合う。そんな物語の遺伝子を伝えようとしていたのだ。

そうやって、古び壊れ失われながら、風景は、場所は、失われた時間の中で失われた命が嘗て確かに存在していたのだという事実を宿したままにある。嘗て人が生きていたその風景の時空は、失われながらも、残されたものによって思い出され語られ悼まれるとき、その思い出の遺伝子を他の人間の記憶の中に胚胎させ、新たな命のかたちとしてそれを変容させる。…互いに溶け合いながら、個と世界とまた異なる個との関わり合いは変容し、そんな風にして世界全体の時間の流れというものが作られていくのだろう。互いが存在した時空のその存在証明をアメーバのように四次元に連ねながら。

永遠の現在という概念について訴えた西田の魂(注)もまた私にやってくる。
私は私という存在が有機交流電燈の明滅として壊れ広がってゆくのを感じていた。

…幸福だ。この先なにがあろうと、生まれて育って育てられて、今があることが永遠であることを知る、その、知という幸福を思った。すべてを祝福することのできるツール。

幸福だ。このまま死んでしまいたいほどに。

と、そんな風に思ったんだよ。これから何があっても、一度そう思ったことは失われることはない、

てね。

 

※(注)「福岡伸一、西田哲学を読む~生命をめぐる思索の旅」参照