酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

物語(蛇男補遺)

だったら私は、自分に都合のいい物語を捏ね上げて、それを信じることにするよ。

夢の中で誰かに言い放った、と思ったら目が覚めた。壁の時計は二時を指していた。深夜二時。

部屋は変な具合に歪んで見えた。自分の目の中のレンズがどこかひずんでいるせいだ。蛇の虹彩。そのせいで世界がゆがんだのだ。灯りをつけているわけでもないのに部屋全体は淡く発光し、夜なのか朝なのかもわからない。


確かに見覚えのある私の部屋、それは私のための部屋だったが、やはり私の部屋ではない。

…ヤラれた。蛇男・チャンネルだ。
喫緊の要請にでも出くわしたんだろう。予告もなしに送り込むから困る。そしてこういうときはいつもの場所とは少し違う、奇妙にアウェイな部屋に送られてしまうのだ。メディアルーム、その機能は同じであり、ツールはどこも同じではあるんだが。…まあどうせプログラムは私が組み立てる。

夢の中に閉じ込められたままの空間。視界は柔らかく薄闇に包まれているが、どこか薄明るい。全体奇妙に色が抜けて白茶けていた。


のろのろとベッドから這い出る。

机にはキイ・ボードが置いてある。机の前の窓がそのままディスプレイになっている。
画面は一面霧の風景に見えた。何色でもない、暗いのか明るいのかも判然としない、ただ濃い霧のように視界をふさぐ質感。


何かに背中を押されるようにして机につく。

窓の外の虚空から、叫び求める声がひしひしと迫ってくる。あたり一面からくる。どよめきのように背骨から脳髄へと鈍く響き渡る。骨髄のその奥で、微粒子がざわざわと波のようにさざめく、ブラウン運動

泣くようにして、私は笑っている。

それは私に求めているのか、私が求めているのかわからない。

物語を、物語を!

どうしようもないこの衝動が外側からくるのか、私の内部から来るのかわからない。
それが愚かしいことなのかうつくしいことなのかもわからない。

ただどうしようもないから、衝動のままにひたすら指はキイボードを叩きはじめる、絡み合うプログラムを打ちこみ続ける。思考が、思考ではなく、身体が身体ではない、わたしとは、ただプログラムを体現する現象であった。

打つそばから次々とそれはほのかな光を放ちながら起動してゆく。大気中にほそく震え輝く金色の雨のような菌糸が張り巡らされ、発芽する胞子のように、その菌糸から発光する子実体が現前する。さまざまな形状で、とりどりに柔らかな光を放つ、ほのかにうつくしい夜光キノコの森が出現する。それは生えだすや否や、ふわふわと夜光クラゲへと変態して漂い出す。空気が水のように澄み渡る。

この手の中から、うまれてくる、その柔らかな光の世界。この部屋は煌き震える金色の糸がはりめぐらされ、ゆらゆらと蛍光クラゲの泳ぐイカサマなカラクリ部屋、くすんだまばゆい霧に満ちたきらびやかな空間。

窓を見る。この部屋と共振しながら、そのインスタンスであるところの世界が映しだされる。
こんなインチキな場所から、こんな優しい光が照らしだされることができるのだ。私の中で何かがゆっくりと昏い瞳を開く。光を吸い取る。やわらかく、ふるふると、喜びに震えるいのちといのりがある。

…よし。依頼は果たされる。このプログラムは正しく機能する。それが否応なく私を支配してゆくのを私は感じていた。生み出したものに飲み込まれる。うっとりと心は正しく飲み込まれてゆく。現象と一体化しながら、私はここで私として成り立ってゆく。

***

森だった。
そこに映し出されたものは、限りなく深くゆたかな森。
私は私として成立しながらその底をゆきながら、キイを叩き続ける自分もうっとりと感じていた。意識はその生物相に似た迷路をさまよってゆく、ずっとさまよっていたことを知る。生きているということは、ただそれを切りひらくということだった。

次第に、幸福という概念が記憶の奥から滲みだしてゆく。それはわたくしの外側からくる。幼い日に与えられた明るい部屋の中、与えられた菓子の記憶のようにふわっとほのあまく胸に広がるもの。あたたかく、あまく、やさしく。私の五指の操るままに、世界は現前し、その姿はさまざまにうつろってゆく。私は夢中になって、プログラムを変換し続ける。

OSは定まった。各アプリケーションにはある程度自由度がある。それらが拮抗したバグも数多く出ることだろう。だが、大筋は定まったのだ。

ENTER。

***

「もういいよ。」
蛇男の声がした。

金色の虹彩を正面に向けたまま、横に立っていた。私はぼうっと意識が途切れてそのままぽかんと呆けていたのだ。起き直ると、しんしんと痛む目を押さえ、奴が差し出した白いカップを受け取った。濃い珈琲。蛇男の淹れる珈琲は、いつも地獄のように濃くて熱くて、もうその地獄になら堕ちてもいいと思う。魂に炎の灯る魔法の液体だ。

痺れるような快楽にぼんやりと微笑みながら、私は窓の外を見晴るかす。自動生成モードに入った森、そしてその向こう側。

向こう側、その森の外には静かに光る街が広がっている。空や雲があまりにも眩くきらきらと光るので、街は光を乱反射し、屋根も樹々もそれ自体が凄まじく発光しているように見える。あんまり明るく光るので、どこかがらんと暗く見えた。本当はあんまりにも美しく明るいので、その強度に耐えうる感官のキャパシティをもたないからだ。瀝青のように濃い闇に見える。

そう、ここでの感官がそのあまりにもまばゆい輝きの真理を受け取るキャパをもたぬ。それだけのことだ。それが本当が損なわれることなどない。それはバグではなく正しくプログラムされた、その正しさの外側にある。その外側にのみ存在できる。

いつか、あの中へ還ってゆくためには永遠に創造し続けなくてはならない、創造主とは機能である。いつかあの懐かしく明るく光る青空に満ちた街の中へ、私は行くのだ。

「もういいよ。」
後ろからポンと肩を叩いて、きっと別の誰かが私に言うだろう、部屋を出る、その日には。