結局ひとりなんだなあ自分。
孤独というのは勝ち得るものだ、と春樹の小説にあった。
さまざまな意味でこれは実にその通りだと思うんだけど。
勝ち得たものでない孤独というレヴェルのものもやはりあって、それはもう襲いかかってくるものとしてあるものだから、どうしようもなく寂しいもんだなあとも思うんである。それはもう生きるのがやんなっちゃうくらい。
少しね、意味が違うんだよ、ズレてるんだ、それが定義されるところの文脈が。がらんどうとかからっぽとか。それは白アリみたいに内側から蝕むもの。
勝ち得られない孤独という安らぎと尊厳の響きをひそめたそれを外部から暴力的に損なうものという図式からは逃れられないままに、内側からまさにその暴力によって別の孤独は、その寂しさは虚無の響きを帯びて精神を蝕んでゆく。
「こころ」のKは寂しくってしかたなくて死んでしまったんだろな、とふと思う。人生の意味をまるごと見失う類の寂しさというのはある。エゴや裏切りを恨むということではなく、ただひたすら、寂しい。
仕方ないんだけどね、すべてはどっか自分で招いてるものだから。
人からは決して思うように思うものは得られない。寂しい。
それでもしかたないからこのまま生きられるだけなるべく楽しく生きるんだオレ。得たいと思った夢、人や何かを恋う、思うことができたことはたとえそれがどんなに寂しくもどかしくままならず切なく、或いは屈辱的であったとしても、それ自体、痺れるような幸福であることに間違いはないんだから。
なにしろ、しかたないからね。