酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

26日

大晦日や誕生日前日、カウントダウンな時間帯になってくるといつも何だか落ち着かない。なにかやり残したことはないか、やっておくべきことはないか。絶対にあるような気がする、やっておきたかったことが。思い出せないことが。

…今年は金曜日。当日は姉がわざわざ休みを取って川越に招待してくれた。いいとこだよって。

うまいそばをご馳走してくれるという。ついでに週末は実家で過ごす。

ありがたいなあ、ありがたいなあ。ここ数年、いつも誕生日にはどうしようもなくバイオリズムが下がってるような気がしていた。クリスマスイヴに自殺率が高くなるのはこういうことなんだな、とあれこれ部屋に閉じこもって考えていた。

ありがたいなあ。

でもやっぱり何もかもめんどくさいなあ。

申し訳ないのだ。私のために誰かがなんらかの負担を感じることが。もっと楽しく過ごすことができるかもしれない時間とお金を私のために割いてもらうのが辛いのだ。もっともっと喜ばなくてはならない、もっともっとはしゃがなくてはもっともっと楽しんで楽しくあってもらわなくては、と一生懸命かまえていたら、もう申し訳なくて申し訳なくてもうめんどくさくて死にそうになる。

私のためだけのパートナーやこいびと、或いは家族と一緒にお互いを祝うのでないのなら、誕生日には、ひとりで遠くに行きたい。ひっそりとどこかの宿で暗い窓を眺めて湯につかり、夜中静かにオライオンを眺めて、来し方行く末関わった人たちのことを考えて、そうして、まるごとが淡い淡い感謝のかたちになって、そうして、自分はそのままどうにでもなれるんだな、ということを考えていたい。

…でもね、実際行ったらきっと楽しいんだろな。ウン。体調さえよければ、お天気さえよければきっと大丈夫。ちゃんと甘えるのだ。どうせ末っ子体質だからな。感謝して大切な時間を過ごすのだ。母のパソの世話や買ったのに操作がわからなくて難儀してるというハンドブレンダーも見てあげよう。川越は楽しいに違いない。蕎麦はうまいに違いない。姉ともたくさん話をしよう。

何も考えられないことが怖くて焦っている。ウン、きっと実家に行ってしまったら考えられない。

でも戻って来てから一人でどっかに行くことだってできるのだ。いくらでもどうにでもなるのだ。さまざまを覚悟すれば、ひとときならば、どうやっても逃げることはできる。ひとときならば。

そうしてひとときというのは西田の言う「永遠の現在」なんだ。

(あの感覚は至福だ。)

おやすみなさいサンタマリア。