酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

ケイトウ

鮮やかな色彩のあの花の鶏頭、ではない。

ニワトリアタマである。

…知り合いに、言い当てられちゃったんである。「momong ハ ニワトリアタマ。」

ぎょっ、とした。

髪の毛のかたちのことではない。

三歩歩くと、忘れてしまう、脳みそのことである。

 

…そうなんである。

辞書を閉じた瞬間、何を調べたか忘れてしまう。
冷蔵庫を空けたとたん、何を出そうとしていたか、忘れてしまう。

ああ、困るなあ。
小学生の頃は、何もかも、ぜーんぶ覚えてたような気がするんだけどな。(…頭がよかったんだな。)

脳みそが弱くなってしまったのは、まあ仕方ない。だから、忘れては困ることは、ぶつぶつと頭の中で、繰り返し唱えることにしている。

「かばんに入れた葉書、ポストへ。ポスト、ポスト、ポスト。」
「○ちゃんからもらったお便り、返事、返事、返事。」
「冷蔵庫の煮豆、煮豆、煮豆。(食べ忘れないように。)」

…「ボタモチ、ボタモチ、ボタモチ…どっこいしょ。」の落語の世界である。

本当に、やっぱり、ちいと情けない。

頭よくなって、何もかもつうつうと分かったら、泉のように楽しい知恵が湧いたら、楽しいだろうなあ、なんてぼんやり夢見て、うっとり。

だって、何をするにも、いちいち、「ああ、どうしよう。わがんねえ。きっと、ワシには絶対不幸がおこって、トラブルがやってくるんだ。きっとうまくいかない、ダメだ、ダメなんだ。」というふうに思っちゃうんである。

 

…さて、このマイナス思考に関しては、古い歴史を誇る。
思い起こせば、さまざまの三月、入学や進級のたびに、不安でいっぱいであった。新しい教科書がどさっとやってきて、眺めたら、たくさんの難しそうな内容。

「…ああ、もうダメだ、こんなに難しそうなこといっぱい、勉強して分かるようになんてなれそうもない、きっとテストで赤点とって、ワシにお先はない。」などと絶望した15の春のことなんぞ、思いだす。

過ぎてしまえば、結局、なんとかなってるんだけどねい。
実に、このマイナス思考と優柔不断というのは、厄介者である。

セーターひとつ編むんでも、糸だま転がして、悩む悩む。

「…ううむ、身頃と袖、ここまで編んだはいいが、袖と縁編みのデザイン、どれをどう使って、どうすればよいんであろうか…ああ、失敗して、今までの苦労が水の泡に…」
Yarn1_2

ケイトウの花で糸を染めて編み物をする童話もあるよ。柏葉幸子「地下室からの不思議な旅」)