つい甘えてしまったとき、しっかりと真摯に受け止めてこたえてくれる古くからの友人というのは人生の宝だ。現在を過去が救ってくれたような心持ちの9月7日である。
感謝というのは胸の中で暖かい温度感をもっている。
じいんときたのは自分でもおぼえていなかった自分の言葉が人に与えた何か、という現象に関してということでもある。
こんな言葉をもらったのだ。
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K(本名)は覚えていないかもしれないけど、
「音楽みたいに形のないものばっかりだけじゃなくて、人間とか形あるものを好きにならないと、心の痛みがわかるようにならないよ。」
って、何かの機会に、オレ、キミに言われたことがあるのを思い出したよ。
この言葉は、しばらくのあいだ、すごく強く自分の中にあったのですよ、いましめとして。
(中略)
だから、
昔の自分に助けられていると思っていいよ。
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この人は、私が高校生の頃から、その音楽や芸術全般に対する卓越したセンスと才能と不思議なカリスマ性をもっていて、吹奏楽部の指揮者だった。いい加減でぷらぷらへらへらした態度で妙に孤高なとこがあって、そしてそれなのに、(主として男子に)異様に慕われていた。
もともと決していわゆる勝ち組になるタイプではなかったのだ。美大に進んで、己を曲げない苦しい生き方を選ぶしかなくて、きっととても辛い思いを経てきたのだ。でも私は彼が羨ましいし、相変わらず音楽に対するセンスは抜群だ。彼が毎月リストアップするラジオDJ的なノリの「今月の音楽」はハズレがない。
…今の私に、と、お気に入りの歌を勧められた。涙ぐみそうになる。この歌の歌詞きちんとわかりたいけどわかんなくてもいい。うらぶれたダミ声聴いてるだけでいい。
「鎖のちぎれそうなレッキンボールみたいな娘」って表現がイイんだって。
トム・ウエイツやレナード・コーエン、場末のうらぶれた酔いどれオヤジの歌って昔からいつでも好きだった。井戸の底から空や月を恋うようなその祈りのような歌。