酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

自家製が好き

病院が嫌いである。

医者が嫌いである。

薬が嫌いである。

 

で、裏返して言うと、一旦踏み込んでしまうと全部結構好きなんである、自分。嗜好として、おそらく。

ハマったらおしまいだな、と思うから忌避してるんである。おそらく。
特にクスリ。

何しろ己の身体を使っての人体実験っていうのは究極のおもしろさなんではないか。まさに命を張った最高にスリリングな体感。他人に害を加えないですむしねえ。他人と関わる責任って駄目なんよオレおこちゃまだから。

基本的に拒食症とかってこの原理だよな。不随意的なるものであるはずの身体を己の意志によってコントロールしうるという発見のおもしろさ。

要するに神への冒涜である。己でコントロールすべきではない領域を支配する禁断の喜び。畏怖すべき大切な領域を自ら侵犯し、壊してしまう、なんというか…これはタナトスというものか。

(これが他者に向かうと一気にマッドサイエンティスト臭芬々、犯罪ホラーサスペンススリラースプラッタ(違)映画な雰囲気に。)

 

で、とりあえず法に触れるのは困るし踏み外す覚悟ができるまえは「我ナチュラリスト」ポリシーに則しておきたいので、折衷案としては、なんだな、アレ。


…酒である。それから、珈琲、カカオ、スパイス。あとカヴァカヴァとか(今はアウトなのかな。)(マジックマッシュルーム焼いて食うとかコカの葉を噛むとかは一度やってみたいなあ。)

ホントはランニング・ハイとかそういうのが一番好きなんだけど。健康的に神さまな感じの孤独にして博愛な脳内自己完結快楽。脳内分泌、副作用ナシいいとこ ばっかり幸せホルモン、自家製ドラッグ。やっぱこれだよなあ。ぬか漬けでもザワクラウトでも食べるラー油でもジェノべーゼでも自家製が一番だ。

 

結局、古今東西あらゆる宗教的な修行の歴史は、脳内に究極の自家製ドラッグ、幸せホルモン分泌するための人類の叡智を振り絞ったメソッドの歴史なんだと思うんだな。心身の苦痛、恐怖からの解放、究極の快楽、すべてはこの法悦ドラッグの効果。

 

しかしね、キミ。
例えば、激しい喘息の発作で一晩じゅう眠れずひとり苦しむ長い長い夜、呼吸できずチアノーゼを起こしかけたあげく、一本の静脈注射でたちまちすうっと呼吸できるようになったときのあの感覚。あらゆる苦痛がほどけてゆく肉体から解放されるような麻痺の感覚、あの不自然な臭いのする(そのときいつでも鼻の奥に、自分の血が内蔵が奇妙な薬の匂いでいっぱいになるような独特の感覚があった。)激しい快楽の一瞬を一度味わってみたまえ。あの瞬間を法悦といわずして他に何があろう。

あれはやわらかな光に満ちた赦しや慰撫や解脱、ナチュラル・ハイなんかではないとこがミソ。禁断の匂いと共に暴力的に一気に来るとこがミソなのだ。

わっかんないなあ。確かに不健康な不自然な感じなのに、刷り込まれてしまう快楽は、その不健康さもセットにして愛してしまう。

どうしてだろう。本当に不思議だ。
きっと単に愚かだからなんだろうな、結論から言うと。

…味わったその苦しみのせいかなあ、と考えたりする。
誰のせいでもないならば、どこにも行けなくなったその恨みは、きっと何か、きっと自分の中の何かを壊してしまう。その課せられた理不尽へのどす黒く濁ったエネルギーに満ちた憎しみが、ハンパにその理不尽を我に課した神さまへの歪んだ恨み憎しみ怒りのようなものになってしまうせいじゃないかと。構造から言うと。

大体ね、愚かであるからやめなさいと賢いひとたちが口を酸っぱくして叫びつづけていても、欲望と憎しみの連鎖で戦争が永遠に続く人類だもの、人間だもの。(みつを)(違)

既に高みからの澄んだうつくしいもの、正しい光の満ちた恩寵だの赦しなるものを受け取るレセプターが損なわれてしまっているのだ。まっすぐな視力をもった目は濁りふさがれて正しいものがきちんと見えなくなってしまっている。もうどうしようもないのだ。わかっていても開けられない。だから、理不尽を理不尽とし て強いるもの、ひきつった笑いと共に納得させてくれるもの、その禁断の悪魔寄りのいびつな快楽に、タナトス寄りのその快楽の色にひきよせられてしまうの だ。おこちゃまな感じの逆説。

ピュアな自然の愛を、絶対を信じていながら、信じない、愛憎の振幅、その理不尽の裏表をたっぷりと歌ったこの詩の一節を私はしょっちゅう思い出す。

「佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。」

(「あばずれ女の亭主が歌った」中原中也


なんぴともジャンキーに対し石持て打つことはできぬ、とワシは思うのヨ。