酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

「大きな鳥にさらわれないよう」川上弘美

冒頭の章「形見」は序章だ。
 
クローン技術を駆使した工場で生産される人間や動物たちで構成された不思議な町の風景が描かれる。
 
この不思議な設定の下で暮らす女性の語り、生活風景を序章として、夢の断片のようなSFじみたさまざまの世界設定の幻想が展開される。オムニバスで断片的に語られる物語が次第につながり、トータルな作品世界が構成されてゆく。
 
*** ***
 
いわゆる普通の家族制度をもつ町もふくめたさまざまな世界の風景が章ごとにランダムに描かれる。だんだんと、現代文明社会の終焉から再生を目指すプログラム実行中の近未来世界設定であることが見えてくる。
 
多様な世界があちこちの視点から語られてゆく中で、見えてくる全体の構造。それは、クローン生産される人間である「わたしたち」が「見守り」という、(普通の生殖によって営まれている)町の人々の生活を「見守っている」という共通した設定である。
 
「見守り」たちは遺伝子操作されたたくさんのクローンとして、複数のコピーのひとつとして生まれ、管理され育てられている。育てているのは、人間を育てる役割を担ってはいるが人間とは違う謎の存在である「母たち」。彼女らの人格もまたコピーされたクローン、均一のもので個性はなく、ひとりの母は「母たち」という全体の呼称でしか示されない。
 
ここには、同一の遺伝子でたくさんのコピーされた「わたし」が同時存在する。同じ家の中で育てられている、数人のわたし。わたしはわたし、あなたもわたし。わたしとわたしが会話をする。代々のわたし、わたしたち。この作品では、この一人称そして二人称の意図的な乱用、混乱によるアイデンティティの枠組みの崩壊の仕掛けがなされているのだ。
 
この設定により、己の定義の危うさが暴露された「わたし」たちは、少数の突然変異的な「わたし」以外は唯々諾々と与えられた日々を過ごし運命を受けいれ代々の「見守り」としての役割を担ってゆく。己の個性に執着しない。ある「わたし」たちの集団においては遺伝子管理された範囲内での実験的な生殖が行われる。多くの女性の「わたし」に生殖のための少数の男性が共有されるシステム。
 
複数の「母たち」に育てられる複数の「わたし」たち。そこに、家族や男女、親子の関係の、究極まで問い詰められる愛のかたちのイメージがあぶりだされてくる。
 
成長した「わたし」たちは、世界を管理する管理者側に回る。街にとどまり街を監視管理するもの、街から街を渡らいながら調査するもの、その「見守り」たち側の語るさまざまの町の物語。
 
それは、異能者を、異端者を、「自分たちと違うもの」を問答無用に憎悪し排除する町の人々の物語、或いはまた、己の中に思いもよらぬ「己と似ていながら違うもの」への憎悪を発見し、その罪業を自覚発見し、正しく善良な生物の住む村落を壊滅させる「見守り」の物語。(「漂泊」)
 
どの章にも、必ずざらざらとしたやるせなさ、疑問、ひっかかりを感じる箇所がある。理不尽のひとことでは言い尽くし難い、答えのない疑問、胸の中に決して取れないトゲのように突き刺さるひっかかり。どうしようもなさ。
 
例えば、それは特に「漂泊」という章に顕著に感じるものだ。
 
彼は、遺伝子を変化させることによって絶滅に瀕した人類が新しい人類として進化発展し生き延びてゆく人類存続プロジェクトを担い、世界を漂泊しながら村落を調査する運命を背負って生まれた。母たちによってそう教育され、新たなる可能性を持った人類を探して旅を続ける。だが実際にその可能性を持った鼻のない三つ目の人類の亜種の住む村落を発見したとき、彼を襲ったのはどうしようもない嫌悪感だったのである。
 
今まで気づかなかった、己自身の内部に埋め込まれたものである理不尽に気づく。己の中の闇に気づく。この鈍く深い絶望的な痛み。己が無辜ではないと自覚する、その発見の衝撃。
 
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もしもかれらが人間とこれほど近種の生物でなかったなら、こんなおそれは感じないだろうということを、わたしは知っていた。
 
イアンの言葉を、わたしは思い出す。
「自分と異なる存在をあなたは受け入れられますか」
受け入れられると、わたしは信じていた。そうだ。わたしたちと近種の、かつわたしたちよりも優れたものならば、わたしは受け入れたことだろう。
 
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その村落の生物の遺伝子を調べ、99.8%の遺伝子構成の一致を見たとき、彼はこみあげる嫌悪感に吐く。熱に浮かされたような衝動のままに彼らの水源であるみずうみに毒を流し村落を滅ぼす。
 
彼らが慎ましく平和に暮らし、寄り添って愛し合い、生きること、世界を楽しみ、世界を害さないで調和しながら生きていく優れた人類のミュータントであることを彼は知っていた。憎しみを知らぬ種族。それは、新世界を開く救済、待ち望まれていたはずの。
 
何故?何故こうなってしまうのだ、間違っている、わかっている、それでもどうしようもなく踏み込んでゆく、決定的な罪を犯しつつあることを、真っ黒な絶望の道を自覚しながら。この作品において繰り返し変奏されるモチーフ、異質なもの、己の理解を超えたものへの本能的な嫌悪、恐怖、そこから己を守るための理不尽な敵意と攻撃。己の拠って立つ既存システムの盲目的な死守、寧ろ、選択される、もろともの殉死。(それが破滅に向かうものであると知っていてもなお、己を超えた救済よりも滅亡を選ぶ選択。)
 
…これが、「不快さ、ひっかかり」である。
 
己の中の衝動。…これは「原罪」に通じるものなのではないか。この「どうしようもなさ」。後天的に埋め込まれた論理も倫理もそこでは無力である。無力だがそれは犯した罪を決して許さない。己の中の倫理によって己の存在は己自身によって裁かれ罰され続けるものとなる。…実に愚かである。自ら痛みを招く。罪を罪として背負ってしまう。だがこれが人間の原型だ。破滅への道、原罪。罪業、業。
 
…この「業」について考えるのだ。そしてその「業」に己が共振した瞬間、この「見守り」の物語に共振し、涙が出そうに感動する。
 
そのやるせなさとそれに対して己の中に生ずる葛藤、怒りと痛ましさと憐みとあきらめに、贖罪への祈りに。…だが、何だろう、あきらめの向こう側、何もかもをただあるがままに受け入れるかたちをとった唯一の救済のようなものを見出す彼方の可能性の光を、その絶望的に逆説的な光の片鱗を私は見る。ここでのどうしようもなさ、業による罪と罰の物語は、後の章の物語によって、原罪、として、ある種の慰撫を得ることになるのだ。(恐らくは、すべてはただひたすら本能的な恐怖と不安からくるのだ。己の存在を、信じている世界の基盤そのものを足元から崩してゆく、まるごと否定するものである未知に対しての。)
 
物語の力はここにある。
 
たんたんと抑制された表現でありながら、激しい感情、思想的なアフォリズムにみちた、ポエティックにして叙事詩的、さながら神話のようなイメージがある。一話一話がそれぞれそれなりに完結したひとつの幻夢のストーリーであり、それぞれが胸えぐられるようないたましさを孕み、何だか訳が分からない、それなのにわからないそのままに、ある種のメンタリティをもつ読者の感情を根幹からゆさぶる、そんな情緒に満ちている。
 
それはどこか冷ややかな理不尽をあぶり出す。その理不尽へのあきらめやかなしみをしずみこませた「冷ややかさ」を敢えて描くことが、その向こう側の抑え込んだ激しい思想性、怒りにも似た強い疑念のエナジイを熱く感じさせる独特の情趣を生み出す基本構造なのだ。
 
 
すべての章がそれぞれの意匠でそれぞれのテーマをもって深々と心を打つ。中でも私は「Interview」が非常に好きだ。光合成で生きている生命体が、旅の途中の「見守り」に語る一人称一人語りの物語。(おそらくこれは「漂泊」において罪を犯したあの「見守り」だ。)
 
お気楽な軽口で既存人類の社会システムの在り方を不思議がる。「業」を不思議がる。外側から純粋に客観視してただひたすら不思議がる。彼らにはそれがないからだ。
 
人類の亜種であり、睡眠の必要もなく食物を摂取する必要もない、植物的な光合成で生きることのできる知的生物である。(食べものを摂取するタイプも、食べなくても食べてもいいタイプも共存する。)異性生殖はするが、それは個として関わり合うこと、占有や支配、競争や暴力的なものに関わる事態からはほど遠く、ただ快楽とあたたかさをひととき共有するシンプルさに徹したものである。
 
それは、幼いころ、母親と並んで陽だまりで一緒に光合成をおこなっていたときの、平和で静かな、ただ純粋な生きる喜びに満ちた記憶を呼び起こすものであると彼は語る。(光合成は彼らにとって生命の喜びそのものであり、うっとりするような満たされる快楽である。眠リ夢を見る恍惚にも似ているともいう。)
 
彼らは、生きるために貪欲に食い奪い合う必要がなく、生命として生きる執着が非常に淡い。というよりも個としての己への執着が淡いのだ。動物と植物の複合体でありながら性質としては鉱物のようなイメージがある。例えば命を持ち動くことも可能な鉱物。…地球の見る夢のこごった生命体、といった感がある。
 
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この地球っていう星の、はじまりのときからの白昼夢を、おれはいつも見ているような気がするよ。(中略)白昼夢を見る時、おれは地球そのものになっているような気分でいることが多いな。もちろん地球なんていう大きなものの気分はわかりゃしないけど、でも、その一部にまじりこんで、細かな触手をのばして地球の中に入り込み、地球の感覚をじわじわ吸いとるような、そんな感じかな。
 
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争い?それは一体何なの?家族のやつらが、えらい奴になるために、自分よりえらい奴をやりこめるのと、同じようなもの?
 
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彼らにおいては家族を持つタイプも少ないが存在しているという。
 
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家族の中で育った奴らは、なんていうのかな、こう、おれなんかとはちょっと違う感じがするよ。
どこが、とは、はっきり言えないけど、そうだなあ、いいかげんじゃないっていうのかな。ほら、あんたが最初におれに言ったじゃない。いろんな普通がある、って。家族出身の奴らには、そんなにたくさんの普通がないような、感じがするんだよ。みんなおんなじ普通、っていったらいいかな。
 
家族出身の奴らは、かたまるんだよ。そして、みんなで互いを守りあう。規則を作って、反したものには厳しくあたる。それからさ、(中略)家族の中には、えらい奴とえらくない奴がいるんだって。えらくない奴は、えらい奴の言うことをきかないといけないんだとかね。
 
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家族とは、社会の最小単位だ。社会の権力構造とそれが生み出すものについて彼は語っている、社会システムが発生維持運営するために必要とされる基盤のところを彼は顕わにする。規則、役割、そして「異質を異質とし、存在を許しがたいものとして排除する規範としての均質さの必要」。これが集団の中に暮らすものの内部の倫理観にインプットされてシステムは成り立ってゆく。
 
システム内にいる者たちの抱える不安と彼らの起こす争いの関連について彼は語り、人類の存続のための使命を負って生まれ育った見守りが見守りとして生きる存在理由を彼は問う。
 
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やめちゃったら、そんなこと。
やめられない?運命だから?え、運命っていうより、自分が存在する理由だから?
よくわからないなあ。
(中略)
もっと自分のことだけ考えてたら。自分の好きなことだけをさ。
え、そんな単純な話じゃないの?
ふうん。おれにとっては、すごく単純なことなんだけどね。人類とか世界とかは、つまりおれたちの集まりなんだろう。おれと、おれと、おれと、あんたと、あんたと、あんたの。人間のことを心配するんだとしたら、その中の自分のことだけ、心配してりゃ、いいじゃない。それだけじゃ足りないっていうんなら、そうだなあ、あとは自分が直接知ってる人のことを心配(中略)それでじゅうぶんじゃない。それ以上のことなんて、手がまわらないし。手がまわると思ってるとしたら、そりゃちっとばかり、えらそうなんじゃない。(中略)あんたのいうことも、少しはわかる。もっと全体のことを考えなきゃねってね。
それは、頭でわかるってことだけどね。おれは、おれの体がわかったことしか、信じないよ。だから、悪いけど、おれはあんたの言ってることは、なんかこう、ふわふわとそのへんに浮いてる、きれいな虫みたいに感じられる。
 
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確かな手触りを持った幸福の理念と、論理が組み立てたイデオロギーとしての幸福の理念の違いについて彼は語っているのだ。個を抑圧するものであるその集団の、システムにおける「正義」への疑念のことを。頭の理解と体(魂)の理解との違いとして。イデオロギーとは、個を抑圧して成り立つ全体の正義とは、実体もなくただふわふわ浮いて目を楽しませるだけの「そのへんの虫」だ。
 
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重ねられた夢の断片を拾うようにして読み進んでゆくと、次第にちりばめられた断片、ピースが繋がり、多様な独自の設定の世界構造の全体が見えだしてくる。
実験的に「母たち」や「見守り」による中央管理システムの下に構築されたさまざまなスタイルをもつ各地の原始的な共同体。それらは次第に独自の発展を遂げ、人類は再び歴史を繰り返してゆく。人々の欲望と祈りに応えるべく奇跡を行う者、教えを与える者が生まれ、街と街の間の交流が盛んになってゆく。それに従い母たちは存在を消し、見守りたちの会合もまた失われてゆく。
 
「そう、政治と宗教。中央と地方。物流に交流。かつての人類がたどっていったのと同じ過程が、ごく原始的で単純化されたかたちではあるけれど、再現されつつあるんだ。」p207「奇跡」
 
業は歴史を繰り返す。人類救済のプロジェクトは失敗する。
 
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プロジェクトのすべてが明らかになるのは終章「運命」においてである。
 
大きな謎解きの章だ。この世界の成り立ち、母たちの存在の謎を語る章。(最終章「なぜなの、あたしのかみさま」があるがこれは序章の「形見」へとつながって ゆく、共に既に後日譚的な時間軸にある別の物語であり、主編を入れ子型構造にはめこむための前書きと後書き的な性格を持ったものである。どちらかというと別枠でとらえるべき「最終章」。従って、寧ろ最後から二番目のこの謎解きの章がメインの物語の「終章」的なイメージをもってとらえられてもよい。)
 
「母たち」は有機的な人工知能がクローン発生させた人体に組み込まれ互いに干渉しあいながら統合した複合体である。
 
人類は自分たちが絶滅しつつあることを自覚しはじめたとき、新たな可能性を模索した。そして実験的にさまざまな環境下においた遺伝子のいずれかが突然変異的な変化を遂げ、絶滅に瀕した人類がその遺伝子によって新しい人類として進化発展し生き延びる解決策を考える。そしてそのための人類存続プロジェクトを発動する。
 
母たちはその一端を担う。多様な多数の世界を孤立させ独自の発展を遂げるために世界を管理する「見守り」を管理育成する。適した性格の遺伝子を選び安定したクローンとして育成し各地に派遣しデータを集計する。人類に変異の兆しが見られたとき、異端であり迫害されるものである異能者を保護し隔離された施設で管理し遺伝子を存続発展させる。自然交配がままならぬときはその遺伝子をまもるためにクローンで世代を継がせる。
 
その「母たち」の、この章はいわば自伝と遺書である。
人類は歴史を繰り返す。その業は、必ず滅亡へ向かうべくプログラミングされている。いかなるプロジェクトもそれに対処しえなかった。その「業」とは、未来に、地球の自然環境に適応し調和し、生き残り繁栄するための新種への希望を、「異質なるもの」を自ら憎み徹底的に排除するものである。母たちはついに人類救済プロジェクトを放棄し、自爆することになる。
     
ここで、先にあげた「Interview 」と「漂泊」は特に印象深い、と思っていたらやはり「母たち」の語るこの謎解きの章「運命」においてピックアップされて語られている。母たちによって注目されていた、人類存続のための希望をつなぐふたつの遺伝子変異体集団として。
 
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中でも、二つの集団に、わたしは注目していました。
一つは、高度に発達した共感能力をもつように変異した集団。
もう一つは、合成代謝を体内でおこなえるように変異した集団。
(中略)
あなたたち(筆者注・人類)が変化し始めると、不思議と必ず、あなたたちの内部から、その変化を食い止めるような矯正力が働きます。そして、結局はあなたたち自身であなたたちを破壊してしまうのです。
 
一つめの、高度に発達した共感能力をもち、憎しみというものが存在しない集団は、ある一人の観察者によって、あっさりと滅ぼされました。
もう一つの、合成代謝をおこなえる集団の方は、内部から崩壊してゆきました。
(中略)
二つの集団の特徴は、争いというものをほとんど必要としない集団だった、ということなのですよ。
 
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地球環境に調和し、争いや憎しみを知らぬうつくしいスタイルをもった生き物としての人類の未来。
だが激しい競争心を持たぬ種は、「異なるもの」を決定的に嫌悪する既成人類によって滅ぼされ、或いは生殖によって命を繋ごうとする欲望の淡さを原因として自滅する。両者は人類という種の中で淘汰されてしまう。
 
そう、淘汰。
 
人類が人類であるのは、「業」があるからなのだ、という命題がここに顕れている。
そして、それは必ず滅びゆくプログラムでしかありえないのか?という問いが。
 
 
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最終章「なぜなの、あたしのかみさま」。
 
すべてが終わった後、エリとレマという二人の女性が最後の人類として最後の大きな母(実験的に個性を付与された母)によって育てられる。この二人の名は当然イエスが処刑前に叫んだというあの言葉、聖書(マタイ福音書)の「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」(神よ、神よ、なぜ私を見捨てられたか?)からきているものであり、章題に呼応する。
 
エリとレマは神である。
 
エリは生き生きとした好奇心に満ち、未来に通ずる。新世界へに通ずる。彼女は創造主だ。実験を繰り返し、新しい人類をクローン技術によってつくりだすことに成功し、町をつくる。これが序章「形見」での工場によって生産される人類の暮らす町の風景なのだ。
 
レマは、過去に通ずる。静かに繰り返す日々のみに充足する。過去の人類の影(「気配」と彼女は呼ぶ。)を見る。彼と会話し、夜な夜な、過去に存在した地球の歴史の夢を見つづける。そこで彼女は神と呼ばれ、祈りを捧げられる存在となる。彼女は殺到する祈りの激しさに、死の恐怖からの救済を求め欲望の充足を求めるその生命力に圧倒され寧ろ嫌悪する。夢の中で地上に降り立ち激しい生命力に満ちた「男」の存在の前に対象としてさらされたときも激しい恐怖と嫌悪を覚える。
 
彼女は彼らの祈りを理解しない。その不安と恐怖を理解しない。彼女にとって死は恐怖ではないからだ。「気配」の側に移行すること、「向こう側」、滅びた過去の側に移行するだけのことに過ぎない。
 
大勢の人間が「私の神よ、何故、私を見捨てる」(「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」だ!)とつぶやきながら死んでいったがレマがその祈りを取り合うことはなかった。だが、レマは一度だけ過去の夢の中で人間の祈りに同情した。祈りながら死んでいった小さな女の子のその祈りに。
 
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「なぜなの、あたしのかみさま」
(中略)生きていたその間じゅう、子供は常に祈っていたのだ。なぜなの、あたしのかみさま。なぜあたしたちは、こんなふうになってしまったの、と。
 
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「なぜ、こんなふうになってしまったの。」
これが、内側に向かう問いだからだ。己の内側に組み込まれた大いなる理不尽に対する問い。
 
レマは世界が滅びてしまった後の夢の中、荒涼とした風景を眺め、エリの創造した小さな町のことを思う。その町の工場による生殖管理システムの中から川向うへと逃れてゆく例外としての男女や生物(エリは川を境界線として設定し、その外側を放置した。)に思いを馳せる。
 
「いつかこの世界にいたあなたたち人間よ、どうかあなたたちが、みずからを救うことができますように」
 
過去と未来の時空の枠組みが無化し、溶け合ったカオスに通ずる、この終末と滅びの向こう側の静かな世界で、レマのこの祈りはエリの創造した未来に向かう世界に繋がってゆく。…すなわち序章「形見」へとループしてゆくものである。繰り返してゆく、いや、未知の未来への希望を託した変調を加え、螺旋を描いてゆく。
 
町のシステムから逃れていった男女が新しい大陸でつくりだす、「創造主・エリ」の管理から逃れていった未知の可能性としての新世界の物語は、町の中で神話として語られるものだ。
 
逃れていったもの。逃れて行くものへ託されるあわいあわい荒唐無稽な救済として語られる希望のかたち。
 
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神話よ、神話ですって。なんだか、おかしいわね。くすくす笑いながら、女たちがささやきあっている。(序章「形見」)