酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

うた

そろそろ人生を総括せねばならぬと思い、またそれにともない断捨離なぞもせねばならぬなどと思ったりして棚の奥を探ったら昔の写真や手紙など出てくる。捨てられないでまとめてくるんで棚の奥に突っ込んでおいたものだ。

ついつい読んでしまう。

すべての手紙に、写真に、記憶がよみがえる。中でも三十を前に若くして亡くなってしまった友人の手紙を読むと胸が苦しくなるような痛みを覚える。彼が生きていたその時間の存在を、その確かな息づかいをその筆跡に感ずる。一文字一文字をペンで書きつらねていたその手が見えるような気がする。その表情が、思いが。…それらが既にもうどこにも存在していないということが、私にはよく理解できない。あの時間が。高校時代のあのときが。存在していたということと今はもうそれがどこにもないということが上手に把握できないのだ。

(お脳が弱いからに違いない。)

で、混乱する。
そして私は混乱すると酒を飲む。ガチガチに硬化してにっちもさっちもいかなくなった脳細胞をゆるめなければならない。

酔いの中でうまくいけば記憶は上手によみがえり、あじきない虚無の恐怖、喪失の鮮烈な痛みから、違った色彩を帯びたものとしてのかなしみにの方へ調整されてゆく。痛みではあっても、ほのかに甘い切なさの、どこか救済の色彩を帯びたもの。

漱石「こころ」のKの自死のシーンを思い出す。己の今後の一生をすべてものすごい闇で染め上げたその一瞬、取り返しのつかないということの恐怖、痛み、罪業と絶望の中、先生にとって純粋なかなしみとは優しい一滴の救いのしずくであった。真っ黒な絶望の闇の中でのひとしずくの救済。既に歓びや幸福をもとめることのかなわぬ魂にとって、純粋と無垢はかなしみという形でしか存在しえない。…このような構造の類似である。このとき悲しみは救済となるのだ。この小説の場合はテーマが罪業、という焦点に絞られているが。)

おそらくそれは、存在が失われたこと、今現在ある世界存在すべては失われるということ、すなわち今この時の不確かさへの恐怖、…世界がもともと死と虚無と喪失であるという認識の恐怖(人間の精神はそれに耐えることはできない。)、その一面の虚無、存在の否定が、「かつて確かに存在していた。」「一度存在したことは決して失われない。」という逆ベクトルを持つ全存在の肯定、救済の感覚に読み換えられるための記憶解釈のための脳内作業段階、そのブラックボックスの存在という思考の構造にも密接に関連している。

そのブラックボックスとはすなわち五感の確かさに基づいた視覚的要素(絵画、映画的なるもの)であり聴覚に基づいた音楽であり、また香りであり、…あらゆる複合芸術、歌舞音曲から成立してくる意味、物語。すべての芸術、或いは宗教であり、またそれはすぐれて文学である。すべての宗教的儀式はこのために存在する。宗教と芸術はそのための物語だ。神話、物語。「存在」を肯定するための物語。

 

初めて私にムーンライダーズを教えてくれたのは彼だった。
誕生日にアルバムを贈ってくれたのだ。オリジナルの手書きの解説書付きで。

それからことあるごとにあれこれ編集したカセットとかくれたから、どのアルバムだったかよく覚えていないんだけど、確か、マニア・マニエラ。

…正直言って、初めて聴いたときはあんまりピンとこなかった。どっちかっていうとYMOとかキヨシロとか或いはチェッカーズとか、はではでしいインパクトをもったものが面白い時代だったから。そんときはさ、有難迷惑かな、なんて、ちいとね。ごめんね。

だけどね、ムーンライダーズ

こんなにも長く人生についてきてくれる音楽になるとは思わなかった。のちのちまで、一生の宝物になったんだよ。ほんとにありがとね。噛めば噛むほどスルメイカ。その詩情、そのアタマデッカチ、その哲学、その遊び心、音楽の冒険、変化を恐れない変幻ぶり。

 

で、今夜も酔っ払いながらライダーズを聴くワケよ。
あの頃とんがっていた若い彼らと、おじいさんバンドになった今の彼らと。その変遷を聴くことができるってこともまた素晴らしいことで…なんというか、それは、豊穣だ。

 

彼は、高校時代バンドをやっていて、ちっともかっこよくはなかったけど、学園祭では体育館でキヨシロとか歌ってて、そんときは聴きに来てくれってゴリゴリ言われて聴きに行ったら、観客席の私の目をまっすぐ見つめ、指さして「つ・き・あ・い・た・い」の下品な歌を投げつけてきた。つきあいたくなかったからつきあわなかったけど、一緒にバンドもやったし、ほんとに大切な仲間ではあったんだよ。上手に伝えられなかったけど。

たくさんの音楽を教えてくれた。癌になってもなんだか絶対亡くなってしまうことは考えられなくて、根拠もなくきっと大丈夫、治るんだと思ってて、お見舞いに行ったときも気楽に「早くなおれよ、頑張れ、落ち込むなよー」、なんて言っていた。

あの日々を共有した人たちがひとりでも欠けてしまうなんてことが本当に私には信じられないことだったのだ。

 

本や、音楽は、それを教えてくれた人と時間と密接に絡みついて記憶に取り込まれて焼き込まれてゆく。マニアマニエラを聴くごとに私は君のことを思い出し続けるよ、N君。一生ね。