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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

儀式

おしゃく~ん、と甘い声で彼は笑い、何だい?とオレが答える。
 
そういう儀式だった。会話を始める前の。
 
いつものみんなと一緒の時の声とは違う、私だけが知っている甘えたようなその声の出し方。二人だけでいるときしか見せない表情と声、勝手な呼び方。(「おしゃくん」というのは私の名前をアレンジして彼が拵えたセンスのない愛称である。)二人だけの空間での二人だけの呼び方、そのときだけ見せる表情、声、感情、考え。
 
こういうのはだな、なんと言えばいいのか…知らん。よくわからん。しかしそのときそれがどんなものであってもすべてをまるごとを精一杯受け入れたいと思ってしまったことは、青春時代の、人生のそのときの、正解と喜びであったと思っている。
 
ただのままごとだ。遊びだ。そしてそれがどんな現実より真実だ。
 
ただその陳腐な儀式が可笑しくて笑った。お約束ギャクネタのようなものである。共有する秘密、それは親密さの証のような、少し秘密の匂いのする儀式。
 
頬を寄せようとする、軽く唇を合わせようとしてくる、そのときはいつでも甘いラズベリイ・ガムとほんのり淡い煙草の匂いが混じっていた。ふわっとした頬の感触のその一瞬は少し好きだった。朝一緒に学校に行って早朝の光の満ちただれもいない教室で、くすくす笑いながら戯れに唇をそっとあわせるときの非日常感。友達が今にも入ってくるんじゃないかと思って半分だけ本気でやめれと言った。(別に構わなかったんだけどね。)
 
彼はすとんとした長身だったしオレは並外れたチビだったから電信柱と蝉だった。
授業の終わった後帰り道、なんだか彼はそのまま一緒にくっついてきて、(ヤツは二子玉川に下宿してたんだが)少し困惑して黙ってたら阿佐ヶ谷駅の裏で屋台の甘栗買ってくれたりした。(おれ甘栗好きなんでそれで機嫌はたちまちとってもよくなった。)こたつで二人で甘栗むきながら甘栗の食い方のこととか授業の続きのこととか共通の友人のこととかお互いの今までのこととかあれこれ話した。甘栗売りの寂しい独り身風バイトのあんちゃんが「おふたり好感度バツグンカップルだからサーヴィスしちゃうよ~」なんて言いながらたらふく袋に盛ってくれたの何だかくすぐったくてよく覚えてる。(電信柱と蝉でもダイジョブだったのかな。国文学カップル。)(それは甘栗じゃなくて阿佐ヶ谷駅ガード裏の焼き鳥屋の焼き鳥だったり好味屋のよもぎあんぱんだったりうさぎやの苺餅だったりもしたんだけどね。)(うさぎやは「苺大福」という呼称を許してくれなかった。客が「苺大福ください。」と言うと必ず「はい、苺餅ですね。」といちいち言い直していた。非常に頑固で誇り高い老舗である。)
 
これが恋であったとは実はあんまり思っていない。よくわからない。ほんのりとしたままごとである。小説の中のような展開を演じて楽しがっていた。
 
 
こないだの同窓会で彼は二人の子持ちの子煩悩パパとなっていた。
「ね、懐かしいね。」と言って笑いあった。
 
随分くたびれた顔をしていたけど、ふわりとした優しい笑い方だけはあの頃とおんなじだった。