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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

図書館、実家近く。

図書館オバケなので、どこの町に行っても図書館に出没する。やっぱり好きだなあ日曜の図書館。晴れた五月の昼下がり。

柳沢教授読んで泣きそうになってるってなんなの。(この町の図書館は漫画が充実してるのだ。因みにこの作者の「不思議な少年」もヒジョーにおもしろいでございます。)

(そうして私の魂は今日一日の分だけ救われた。枯死しかかっていた魂が、ドラマを与えられ、それを飲み干して新しく瞳を上げ、新しく日曜の図書館を見出だした。それぞれの日常の中にいる人々の営みを感じ、その多様に包まれ、そこに意味を見出しよみがえらせることができた。…孤独は、その人々に投影されることによって孤独である意味を見出し慰められる。胸の奥のがらんどう、虚無感恐怖感とは切り離された、世界との優しい連帯をもったものとなる。その風景を、世界を愛することによって、己のその寂しさは赦されるための代償、或いは贖いとなり、ひたすら単純に愛する幸福と一致したものとなれる。そしてそのとき孤独は孤独のままにかけがえのない宝物となり、私の存在は、罪業は、赦されたものとなる。世界に対し夢を見る、物語を見る力を再び見出すことができる。)
 
大勢の人が密やかに静やかにそれぞれを尊重する空気。ひそめた話し声。ページから頭を上げてみれば、本の棚の間で、皆がそれぞれの頭にそれぞれの思考の風船玉をくっつけて穏やかに浮遊している。皆がそれぞれ独自に立ち皆が図書館ビトとして時空を調和して共有している。

ああ、図書館はどの世界にも通じる、どの世界のくびきからも解放されたメディア空間なのだ。そこで人はひとときの時空を共にする銀河鉄道の旅人となる。数限りなく並んだ本の扉を開ければそれぞれに別の駅、別の世界。…世界の多様と豊穣を感ずるメディア空間だ。
 
ソファに座り雑誌をめくり、おいしい煮物の拵え方、というレシピページを眺めるご婦人、実用書に読みふける男性、立ったまま恋愛小説に没頭する若い女性、学術書を積み重ね、調べものに余念のない研究者風のメガネ君、棚に並んだ小説の背表紙をにらみつけている紳士、子供の絵本を一緒に選ぶ母親や父親。
 
「移らずしかもしづかにゆききする 巨きなすあしの生物たち…」(「青森挽歌」)賢治の夢想したあの不思議な天界の生物を思い出す。天の瑠璃の床、樹々のさんざめき、空の楽音、ほのかな花の香にみちたその天上世界をうつくしい生物がゆききする天上図書館のイメージが浮かぶ。
 
それは私の精神を救う。「ひかりの素足」で天上の図書館幻想を語った賢治のその夢の図書館を想像する。…いつかそんな物語を書きたいなあ。

絵本の棚を覗いていたら、座り込んで絵本に没頭していた小さな女の子がぱっと顔を上げていきなり私に満面の笑顔を向けた。…母親と間違えたのだ。その光をまともに食らってしまった。

一瞬で胸を射抜かれた。

輝くような笑顔とはこのことだ。物語の、知の世界に身を浸していた興奮に紅潮しぴかぴか光るその頬。ああ、母に伝えたい心でいっぱいの、その世界の豊かさを感じた喜びを間違って浴びてしまった。強い光、きらきら輝くその瞳。
 
かつて私は彼女であった。
だから彼女を祝福することで私は私の存在を愛することができる。さまざまに感謝することができる。
 
空いていた私の隣の席に「すみません」の声。「あ、すみませんどうぞ」と座りやすいよう荷物を寄せたら、座るときも、そしてしばしの読書の後に立ち去るときも、にっこり丁寧にお礼を述べてくれた老婦人の柔らかな微笑み。こちらが悪いのに恐縮。そしてじんわりとあたたかな心持ち。
 
柔らかな金色にそまってゆく五月の長い夕暮れ。
両親が静かに暮らす平和な日々の風景の中に戻ってゆく。
 
明日はまた国分寺の日常に戻る。