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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

「ぬすびと」及び「ドタマ」

昨日私の頭の中では賢治の詩の一節がくりかえしくりかえし再生されていた。
半ば音韻化され、半ば文字面の記憶として、半ば想起されたイメージとして。

こういうことはよくあることだ。気が付くと歌が繰り返し再生されていたり風景がこびりついていたり。その日一日、脳裡に、ずっと。

…あれは「春と修羅」だったよなあ、意味の分からない詩だったよなあ、と気になって確認してみたらやっぱり春と修羅「ぬすびと」だ。

 

ぬすびと

青じろい骸骨星座のよあけがた
凍えた泥の乱(らん)反射をわたり
店さきにひとつ置かれた
提婆のかめをぬすんだもの
にはかにもその長く黒い脚をやめ
二つの耳に二つの手をあて
電線のオルゴールを聴く

 

何故その一節なり風景なり歌なりが脳によって選択されているのかはわからない。わからないまま脳内に飼っている「わからなさの森」の中から日々さまざまな言葉やイメージが、概念が、ランダムに繰り出されてくる。

おそらく何らかの意識下の作用。夢の論理。
何かが現実の出来事や考えの中に引っかかっていて、その象徴的なイメージとしての関連があるのではないかと思う。

「ぬすびと」
罪業に彩られた陰惨なモノトーンから藍や青の寒々とした色彩、夜や闇、宿業に染まり苦悩する影のイメージ、だがけれどそこに開かれる夜明けの清明とひそやかな救済のオルゴールの響き、信仰と信仰に対する疑いの拮抗する中から生まれたこの風景。

提婆達多(だいばだった、Skt:Devadatta、デーヴァダッタ)裏切りと苦しみの存在。信仰の両義の枷の象徴のようなこの甕をぬすむ。

この古い確執に満ちた信仰のかたちを、しかしまるごと救済する未来を夢見る、そのような希望としての文明のイメージの延長に電線がある。何かを伝えるもの、エネルギーを、通信を、光を。(賢治テクストにおいて「電線」や「でんしんばしら」は未来や文明的なるもへのファンタジックな希望として扱われるモチーフである。)電線のオルゴール。あえかなその音色。

…苦々しく重く暗いようでいてどこかすべてを軽やかに突き抜けた新しい夜明けを、淡く明るく美しい世界の存在を暗示するような、その祈りのような。

きっといつかこの抽象的なイメージから私は批評の言葉を紡ぎだすだろう。

「電線のオルゴールを聴く」
繰り返されていたのはこの一節であった。長く黒い悪魔的なシルエットの修羅のイメージを持つ己の姿のイメージが人間的な仕草に目覚め、耳に手を当て、風景の中の電線の鳴る音を、そのオルゴールを聴く。ほのかに優しいそのイメージだ。繰り返し繰り返し。(私の中で見田宗介「気流の鳴る音」が倍音として響いていたことは否定できない。)

詩の抽象はこのようにして一生の中の一日の具体を染め上げ支配する。そしてその一日という日常のライフを積み重ねトータルな人生、ライフが構成される。

詩によって人生は構成されているのだ。

 *** *** ***

…ということで(違)最近頭痛持ちである。

ただでさえいろいろと身体に苦痛が多くて支障があるのに、こういうものもプラスされるとまことに具合が悪い。麦酒を飲むくらいしかできることがない。

…ということで「アタマがいたい。」と呟いてみる。
が、飽きてしまう。しっくりこない。ひどくなってくるとものたりない。言い古された表現には力がない。

で、脳の中のわからなさの言語の森からは「ドタマいてえ。」という言葉が導き出されてくるワケである。

…イイ。

「ドタマ」である。
私はこの言葉を「ドカベン」から学んだ。岩鬼である。

この印象的なキャラクターが何故アタマのことをドタマと言うのか、何故あごから花を咲かせているのか、小学生の私にはさっぱりわからなかった。今だってわからない。が、ドカベンは部屋の隅に転がって読みはじめ、気が付いたら全巻一気読みしていたほどおもしろかった。

「ドタマ」
よほど印象的だったのであろう。使いたかったのだ、いつかどこかで。だが使う機会がない、関西で暮らしたことがない。これは他所の国の言葉だった。

…ということでだがしかし、この頭痛のうっとうしさを如何にして言い表すか、頭を悩ませたとき天啓のようにしてこの言葉は湧いて出たのだった。

天啓。

今こそ使うべき時が来た。
「アタマイタイ。」「テンテン板井。」(←長嶋有「ポンポン板井」のヴァリエーションである。)「頭痛に悩んでいる。」

言い尽くされたこれらが的確に言い表すことのできなかったワタクシの中のこのシニフィエを、ワタクシの語彙体系全体が新たなる豊かさをもって再構築される力をもって表現すべく立ち現れたこのシニフィアン

「ドタマいってえよううう~っ!」(岩鬼の口調で)

なんてしっくりくるのでしょう。

ありがとう、ドカベン