酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

日曜の図書館

晴れた日曜の昼下がり、陽だまりの図書館は至福空間だ。
 
日曜の図書館ビトたちが静かにそれぞれの営みを営んでいるあの安らかな異次元特殊空間にすっぽり包まれる。朝方の悪夢をひきずって世にも不幸な気持ちだったのにいきなり輝くような多幸感に包まれてしまうとかなんなんでしょう。
 
今までのすべての記憶の中の安らかだった時間がぬいとめられ、晴れた日曜日のエッセンスが凝縮されて、風景の中の目の前の子供らに仮託される。
自分が図書館で過ごした時系列を、自分の歴史を外部に投影するように。
愛と幸せでいっぱいになってほどけてしまう。
 
 
若いお父さんやお母さんが小さな子を連れて、のんびりとさまざまのよしなしごとを話しながら子供の質問に答えながら絵本を選ばせている。普段家の日常時間の中では出来ない日曜の外出時の会話は、時折人生を通して刻み付けられる家族の、子供の、「星の時間」ともなる。(ツヴァイク「人類の星の時間」)
 
帰りには、お買い物、秘密の買い食いやパフェや、そんな出来事も待っているのかもしれない。機嫌のいいパパとママと、日曜夜のファミリーレストランの約束とかね。
 
小学生の女の子三人が子供コーナーの机でお揃いの少女雑誌を時折交換しながらも懸命に読んでいる。先週学校で約束したんだろう、次の日曜日図書館に一緒に行こうねって、仲良しグループで。少女向けの漫画やファッション記事で情報収集交換会。そのうちワクワクのお泊り会やパジャマパーティや深刻な恋や将来の相談事なんかするんだろう。
 
書棚の間を、考え深げな顔つきで真剣に背表紙を選びながらひとりの世界をさまよう少年、少女。小学校中学年~中学生。アドレッセンス。彼らの、その、書物の中の世界をさまよう貴重なひとりの日曜の時間。 本の背表紙の向こう側、あらゆる世界の可能性へとひらかれた扉が無限に立ち並ぶメディア空間、その目のくらむようなポテンシャル・エネルギーのなかに佇む恍惚。学校からも家からもあらゆる日常の理不尽から解き放たれた彼らの自在な心の飛翔、物語への、知への探求心に満ちたファンタジー人生、その異次元空間の醸成されはじめる瞬間を私は見る。
 
まわりの大人たちは決して彼らの邪魔をしない。気にもかけない。それぞれがそれぞれを尊重しあう独立した図書館ビトだからだ。
おのおの新聞を読み雑誌を眺め、あるいはノートパソコンを広げ或いは調べものしながらの作業。受験勉強、宿題にいそしむ学生たち。
 
光のあふれる図書館の中をその光の流れの中をおさかなのように泳いだ。
お気に入りの作家の新刊を見つけ、なんとなく心惹かれる匂いの本をいくつも選び、美麗な編み物や菓子の本を眺めて喜び、いくらでも読めそうな気がして、またついつい読み切れない数の本を抱えてぬくもった心を抱えてわたくしは帰る。
 
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こんやはもう標本をいつぱいもつて
わたくしは宗谷海峡をわたる
だから風の音が汽車のやうだ
宮澤賢治春と修羅」より「鈴谷平原」)
 
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まだまだ日は高い。
 
…だけど家に帰ると実際読めなかったりするんだよね。あの特殊な陽だまり空間でしか読めない本なのかもしれない。