酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

筆談

これは、遥か昔、高校生だった頃の時空だ。
 
そう思った。あのときの吉祥寺と今目の前の吉祥寺の風景が次元の位相を違えながら、重なり存在していた。その危うい狭間を漂うようにして、街をゆく。
 
今はもうつぶれてしまった、懐かしいクラシック音楽専門喫茶「くらしっく」。
私はしばしその跡地を前に立ち止まる。
 
鬱蒼と緑の繁った庭をとおって、蔦の絡まる、旧い大正の趣のある洋館につながる径が残っている。
 
ごうごうとクラシック音楽が流れる、シブく凝ったアンティークな風格の建築を眺め、その内装に思いを馳せながら当時ずっとあこがれていた。
 
一度だけ、意を決して友人と二人で店に入ったことがある。
週末、部活帰り。夕暮れの銅色から、窓がゆっくりと柔らかな群青の闇に染まってゆく、夜の時間。
 
これは我々二人の一大イベントであった。
とてもとても我々には場違いな雰囲気で、なんだかタイムトリップ秘密倶楽部みたいな異次元大冒険を感じさせる大仰な店構えだったから。
 
綿密に日取りを決めて、いざ大冒険。当時の我々にとって街は世界の秘密の満ちたジャングルだった。夢を狩るゲーム。装備は二人で交わした交換日記の企画書。獲物は無尽蔵。
 
重厚な古い木製のドアには、手書きで「談話お断り」と貼り紙がある。
珈琲とともに轟々とクラシック音楽を聞かせるのが目的の店なので、おしゃべりは禁止なのだ。
(今はもう、こんな喫茶店はないんだろうなあ。)
 
ウエイターのおじさんがこの場に相応しくないチビ女子高生二人連れに、「当店は談話お断りなのですがよろしいでしょうか?」と念を押す。放課後の女子高生二人連れっていったらそりゃ座って食べてしゃべりまくるために喫茶店にいくもんだからねえ。
 
客層は殆どがおひとりさま年配の紳士だ。目をつぶりただひたすら囂々と響くクラシック音楽に耳を傾け、或いは静かに本の頁を繰る。不思議に煙草の煙の記憶はない。多分禁煙だったんだと思う。(私は気管支が弱く、煙草の煙に非常に弱いのでもし煙があったら強烈に記憶に残っているはずだ。)
 
…で、筆談をしたんである。
わざわざ、会話お断りのクラシック専門喫茶に入って、筆談。
 
これが大層盛り上がったのだ。貴重なり、筆談体験。
普段話し言葉に頼っているところを、もどかしい書き文字のスピードで再現するのは不可能だ。単語を書き示し、互いに口で言葉をかたちづくり読唇術的な推理をし、必死のアイコンタクト、ボディランゲージを交え、共通認識事項のありかを探りあう。しゃべる以外のすべての能力を総動員したフルパワーコミュニケーション。
 
ひとつの通信、意志の疎通とは本来なんて困難なことであったことだろう。自在なしゃべり言葉の声の力、その力技、浮遊する無意味な意味のかけらの流れの中で曖昧に消えてゆくすれ違いや歪み、空虚さの隠蔽、わかったふりのわかった気分のいい加減さ。それらに流されることのできないこの筆談のとき、コミュニケーションの裸の枠組みが露わにされる。その確実さを確保する困難さと直面することの新鮮さ。かそけき通信をとらえるアンテナをとぎすませることの困難さの発見。
 
そしてものすごく楽しかった。くだらないことに必死になっている自分たちが可笑しかった。重厚な大正浪漫の世界、ごうごうと鳴るクラシックの響きに包まれ、周りの静かな紳士たちの時間に包まれながら、異分子となって異質なカプセルをかたちづくり、身振り手ぶり必死になってるばかばかしい自分たちの姿を思うとたまらなく可笑しかった。ズレてゆく言葉、ズレてゆく意味、そして一致したときの快感まで、そのコミュニケーション偽造的なごっこ遊びはただただ可笑しかったのだ。ふたりして痙攣するほど笑った。(声を出さないようにね。)
 
何故か、そのとき見えていた暮れてゆく窓の外、変わりゆく空の色の風景を映していた窓の映像を今でもずっと覚えている。
 
とっぷりと暮れたとき、黒くつやつやと夜空を映していた、その窓は。
 
そのときはしゃいでいた自分の意識のどこかで、このときを、この時空間をいつまでも失いたくない、どこかに繋ぎとめておきたいという依代を求めていたんだろう。目の中に焼き付けられている。
 
その後何十年も、その窓は私の夢の中に出てきた。
 
いつでもその窓は、ちらちらと輝く無限に繋がる星座の中、夜の海の中に漕ぎ出してゆく船の出る港としてあった。
 
どこか、果てない国へとこぎ出していけるような、異界に通じる窓。あのとき、あの窓は私のイコンとなり、依代となり、解放のメディアとして認識されたのだ。ココデハナイドコカ、外部への窓、扉、港。
 
「ほんとうにこんなようなさそりだの勇士だのそらにぎっしり居るだろうか、ああぼくはその中をどこまでも歩いて見たい(銀河鉄道の夜)」と、星座世界、その豊かな物語世界の不思議に驚嘆しながら永遠に歩行することだけを望んだジョバンニのように。
 
今でも、思い出す。
あのとき、あの窓からだけ、私の別の次元での人生の可能性が、開けていたのだ、という気がしている。今、あの窓が私の前にあり、迎えの船がやってきたら、私は迷わず乗り込む。決して戻らない。決して誰にも壊せない穢されないあのときの我々の世界。
 
通じなかった言葉、通じた言葉。その瞬間生まれた、はじけるような笑いの衝動。その共有。
話し言葉の幻惑から放たれ、書き言葉の論理システムからも逃れた、意味の戯れの隙間空間。学校からも部活からも家からも切り離された不安定なアイデンティティを持って向き合った。宇宙船の中のような異空間のひととき、開放空間。われわれふたりのあのとき。
 
アルコール無しでハイになれたころの話だ。