記憶なんてのは8割が捏造である。
歴史学やなんかと同じだ。古いものほど確証性が薄い。想像と仮説がその物語のほとんどすべてである。
今私の中での人生最古の記憶は図書館の風景である。
たとえばこんな感じ。
…これは地元図書館子供コーナーの奥。
こどもがコロコロ転がれるようなじゅうたんの敷かれた安全スペースと低年齢用の絵本。明るい窓辺。
こんなコーナーには特別の思い出がある。
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私が幼児の頃、子育て中の母はしかしまだ若く、外に出てちゃんと世の中の空気を吸って、英会話教室やなんかの習い事もしたかったという。
で、姉が幼稚園だか小学校だかに行っているとき、私を教室近くの図書館のこんなコーナーに転がして、司書の方に頼んでいったという。
…そしてその頃の記憶が我が人生の最初の記憶かもしれぬ、と私は思っている。
心の深奥部分に原風景として刻み込まれた、最初の至福の記憶なんである。
静かで明るくて、ほどよい大きさの心地よい空間。
私はひとりで自由で、じゅうたんにころりと転がってたくさんの絵本に囲まれていて、どれでもいくらでも読んでよかった。世界は際限なく素晴らしい冒険やファンタジーに満ちていた。
ぽかりと夢から浮かぶと、母がちゃんと迎えに来てくれて、二人とも満足の満ち足りた帰り道のひとときは、ただ、楽しかった。
母曰く「あそこにおいとけばいくらでもイイコにしてくれてて助かったワー」だって。
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ひとは己の中の決して他者によって損なわれることのない幸福な原風景に支えられて生きているのではないか、なんて思うよ。