三連休前の金曜深夜、浅いきれぎれの眠りから浮き上がってしまい眠れなくなる。
冷蔵庫から缶麦酒を出してきて飲みなおす。
GaryKarrのコントラバスソロアルバムをかける。
冒頭がぞっとするほど素晴らしいホルストの「木星」なのだ。
これを母校の放課後の音楽室で目の前で聴きたい。ごうごうとあの日々の中に響くコントラバス。私は吹奏楽部に所属していた。音楽の一部になる恍惚のことを思う。自分が世界のパーツになる、あの恍惚。
木星ソロ。存分に泣ける。弦の低く深く響く豊かな流れのその陰に、ひそかな呼吸のように響くわずかな擦過音、陰影。
コントラバスやチェロが好きだ。低音が好きなのだ。でっかい楽器をごうごうと弾きならす姿も好き。ひとの声も低音が好き。(おそらく声フェチである。尾てい骨に響くよな低音にシビれてしまう。)
…で、最近いろいろ読み直している。昭和の時代、柔らかな感受性に植え付けられたあの頃の世界の空気を示すもの。
例えば今夜は岡崎京子。ひどくおもしろいけど、あのざりざりとしたあじきなさ、痛みに辟易して封印、もう触れたくないやと引っ越し時処分してきた。
…で、結局どうしても読み直したくなってAmazonで買いなおしたりしちゃったワケだ。
今「Pink」。
やっぱりものすごくおもしろい。これもシビシビである。
攻殻機動隊のバトーにシビれちゃうレヴェルでシビれてしまうおもしろさ。
ああ、センスは知性だ。
そしてあの頃の空気を懐かしむ。あの頃開かれていたはずの世界を懐かしむ。
それがひどく破滅に近いものであったとしても。