戻ってきたらたちまちダメだ。牢獄から出られない。
何もできない。考えられない。息が苦しい。ハリネズミのように悪意で攻撃装備した鎧で全身を覆う。針は外側にも内側にもびっしりだ。
…とりあえず脱走する。
外は燦々と光の降る日曜午後。
なるべく賑やかな街がいい。懐かしい街がいい。電車に乗って行くところ。
私は街が好きである。大自然や田舎で生き抜く気力も体力もない。荒涼とした風景の中に放り出されたら寂しさのあまり死んでしまうに違いない。
青空に白く輝き屹立する高層ビル群、賑わう休日の街、楽しげな人々。大きな街の風景に包まれる小さな自分を感ずるとほっとする。そこでは私は誰でもない、名無しの通行人である。(そして誰にでもなれる。)
居心地のいい明るい店で、見晴らしのいい大きな窓の傍の席で、珈琲一杯分だけの自由。とっときにしといた本を開き、緑と金の光に彩られた街と人々の風景を眺め、店内の客たちの日曜午後、そのゆるりとした様々の過ごし方を眺める。
私はここですべてから逃れ、ゆっくりと確かな匿名性を確保してゆくのだ。世界はただ清潔な無関心でそっと私を包み込んでくれる。
ここでは誰も私を気にしない。不当に攻撃することも不当に侮辱したり理不尽な悪意を向けることもない。脳足りんな言説に蹂躙される必要もないし、恩愛に絡めとられることもない。この清潔な無関心。このかけがえのないひとときの安寧。誰も私を裁かない。私の存在は軽やかに透きとおる。
珈琲の香りはじんわり暖かく脳細胞を満たすし、たかどのほうこさん新刊は相変わらず素敵である。(「ペルペルの魔法」。この「ピピンとトムトムシリーズ」結構好きである。)ことばがひとつひとつゆるゆると心に染み込んでくる。
不意に心は世界平和を願い世界全体を愛していると感ずる。こんな幸福感に包まれるのはここでだけだ。世界は巨大な図書館になる。
日々に対抗して生きる力をこうやって取り戻す。
…ウン、きっと大丈夫。私は家に戻る。