ふつふつと怒りを感じることもある。
生きてるからには。
一生懸命なえらい人の言動をスカっと馬鹿にして喜ぶスカした野郎な言葉にものすごくイライラ。そのひとがきらいなのだ。
でもやっぱりどう転んでもその怒りはその人自体に対してではない。
愛情や尊敬やなんかでもおんなじことだ。
人間まるごとをトータルに把握も評価もできないしされたくもない。
だからひとりの個人をまるごと憎悪することもないし敬愛することもない。
でもとりあえず憎悪し敬愛する。
その人まるごとにではなく、そのひとのその一瞬のかんがえに対しての思いである。
(…イヤやっぱりその人全体をその憎悪やら敬愛やらで覆ってみてしまうっていうこともあるだよな。オレ人間だもの。だから、とりあえずシンプルに「接触してはいけないきらいなひと」ってことにしておく。)
誰だっけな、誰か有名なイギリス人だか誰だか、外国人の言葉で、劇場での楽しみ方についてコメントしたものがある。
芝居を観る観客は役者の演技を上から目線で鑑賞して楽しみ、ひねくれたクレバーさを持つものはその観客の態度を上から目線で鑑賞して楽しむとかいうの。
で、その観客を鑑賞して、「上いってるアッタマイイやつ」なつもりになって悦に入ってるスカしたスノッブたちの表情をさらにあざ笑って楽しむ更なるひねくれ野郎とか、そういう悟りの矛盾みたいな果てしない連鎖。
…まあとにかく己のカッコ悪さ客観視する脳みそも持たないのにスカしてんじゃねえよ。
「涙なくして人を責むるもの」(宮澤賢治)
言っていいのは自分が共感した好きなひとへの悪口だけだと基本的にそう思う。