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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

眠れぬ夜、春樹のヤミクロ

深夜の三時、おやつのカステラの時間になってしまったのに眠れない。仕方ないので網を編む。本を読む。あれこれ考える。

どうせ酔っぱらいなので大したことは考えられない。だけど忘れたくない。大した人間ではなくても生まれたからには生きるんだし大した考えでなくても考えたという現象は存在するのだ、忘れてしまったら考えなかったことになるのだ、生きていたという事実もなくなってしまうのだ、という風に深夜のひとりの部屋の穏やかな心持ちで考える。

ということで何を考えながら網を編んでいたかというと、メモとしていえば「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の世界の終わりの図書館で骸骨を「読む」イメージの意味、それから双子の女の子のモチーフ。どうして春樹は私に面白いか。

はじめに光ありき、「光よあれ」、というその「光」は原語では「ロゴス」であったということを聞いたとき、よくわからなくてぜんぜんわからなくてだけどボディブロー的に効いてくる結構な衝撃であった。

天野祐吉じゃなかったっけ、目の前の無知の雲が晴れたらぱっと光がさして、今まで暗雲に閉ざされて見えてなかった世の中が見えて、自分の面(おも)が白く光ったから「面白い」っていうんだっていうトンデモマユツバ語源書いてたの。…あの説読んだ時くらいの衝撃的な面白さであった。

カオスのままでは認識できない。そして認識されなかったものは存在しなかったのだ。神様が世界が明らかな光と論理で認識できるようにしたときから、そのうまれたての世界は輝くように「面白い」「有。存在」となった。論理の存在する、無から有への跳躍が世界のはじまり。

ロゴスは世界の始まりであり、闇はそれ以前。

だけどそうなのだ、闇は本当は「無」ではない。「光」と「有」が取り落としたものとしてそれは逆説的、虚数的に認識されるようになる。論理の外側、言語、物語のその外側のマトリクスであり合理的現実世界の幻想が取り落としたものをすべて含んでいる。

異界は闇に通ずる。ヤミクロたちが暗躍する世界がハードボイルドワンダーランドだ。ここでの主人公が暗号を読み解く架空の職業「計算士」であることは、そういう意味で非常に興味深い。

言葉と物語=ロゴス以前へのアクセスがたとえば春樹のその異界という形で現れるということだ。春樹作品のほとんどにこの異界性が横溢していると私は思っている。

眠くなったので寝る。朝は起きねばならぬ。網は編み人形の肩掛けにする。可愛い青いリボンでとめる。編み人形の名前が決まらない。