酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

「菜の子ちゃんと龍の子」富安陽子

菜の子先生シリーズの小学生ヴァージョン。座敷童の学校版、学校怪談ならぬ学校神話とでも呼ぶべきジャンルである。

和製メアリーポピンズを思わせる、しゃきしゃきピシピシした菜の子先生の「生まれながらの先生」的キャラクター、やたらと学校の規則を大切にする杓子定規な現実の先生キャラクターなのに、そのまま妖精めいた存在として不思議な異界と繋がっている。

いつの間にかやってきて、当然のように先生としていて、ある日ふといなくなってしまう。

本当に「マレビト」的なこの存在の不思議さの味わいはそのまま英国の厳格で優秀なナニー、メアリーポピンズだ。東風とともにやってきて、また次の風にのっていってしまうメアリーポピンズ。

…さてこちらのシリーズはまた少し別の物語。
その山田菜の子先生が、そのキャラクターはそのままに、山田菜の子ちゃんという少女の姿で学校にあらわれるお話である。

座敷童的にいつの間にかクラスにいて、誰もが当然のようにそれを受け入れていて、けれど主人公の記憶にしか残っていない、不思議な転校生。

そうすると、一気にイメージは宮澤賢治の「風の又三郎」だ。

一度きり、別世界の広がりを垣間見させてくれる。

その世界の不思議、不思議の世界にいざなってくれる。記憶の中の大切な宝物になる。その物語。

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今回の主人公は、はぐれた龍の子を助けて、しきたりどおり、水神のお祭りの日に無事に天に昇らせようとする菜の子ちゃんを手伝うトキ子ちゃん。

巻末の付録資料を見ると、実際の奈良の霊峰大峰山、吉野の集落に伝わる天狗や鬼、役行者伝説をきちんと下敷きにして、トキ子ちゃんの回想、子供の頃の、美しい幻想、夢の中のようなお祭りの一夜の思い出にアレンジしたお話になっている。

富安陽子さんの独特のこの感覚、好きだなあ。

伝統の民俗的世界、妖怪世界、「自然」と上手に渡り合い畏怖と尊敬と親しみをこめて付き合ってきた人間の知恵としてのその集団的意識。

自然の荒ぶる面、おどろおどろしい畏怖や恐怖に結び付けられがちなその民俗的意識世界が、日常の「学校」という場所を媒介にして、現代社会に生きる個人の、極めて個的、私的なその意識が柔らかく滑らかに繋がってゆく。

個を恐怖によって支配し制限し飲みこむ、或いは逆説的に支配されるべき恐怖としてではなく、きちんとそのアイデンティティを尊重し保ちあいながら、異界、大きな自然界の理(ことわり)のようなものが、人間の個的アイデンティティを支えているものとしてのマトリックス、故郷、母としてのユーモアや親しみをこめて包み込んでゆくような、そのおおらかな優しさに満ちた世界。

これもシリーズになるんだろうな。
富安陽子さん、どんどんどんどんいっぱいいっぱい書いてほしいぞ。