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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

終わってから始まる

昭和がブランドになったのっていつごろからだったろう。

ほんの少し前の過去。ぎりぎりリアルなその時代の体温が、そのぬくみが残っている懐かしい過去。

戦前から戦後、復興、高度経済成長、家電製品三種の神器、サザエさんオイルショック学生運動、DCブランド、バブル、バブル崩壊サブカルチャー隆盛。

江戸時代の時代劇とか明治大正、大正浪漫とかは昭和後半うまれにとってはもう既にもともと完全なブランドだった。一つの時代の顔、カリカチュア、定型化されたイメージをもった物語、ファッション。

昭和ブランドの魅惑は、電気屋とか駄菓子屋とかダサダサ家電とか、サザエさん、寅さん。そのたまらない生活感あふれる下町的な俗な卑近さ。高度経済成長の激しさと未来への躍進の感覚と猛烈な社会階級のスペクトラムの変化、いまだかつてない一億総中流の意識の発現、猛烈なそのダイナミズムによる個人へのしわ寄せ、歪み。

その不思議なアマルガム、総合記憶のあらゆる側面をさまざまに呼び起こす下町感のノスタルジア

それが、ゴリゴリとした技術のカタマリ、洗練や美的センスの入り込む余地のない武骨な白物家電の形。畳の部屋に、ザーザーと調子の不安定なアンテナのっけた白黒テレビ。(壊れた時は叩くと直る。)団地の三階、ダイニングにレースの電話カバー、花柄の象印魔法瓶。洗練の入り込む余地のない人工物の質感と安っぽいデザイン、そのフォルムが示すものは、きらきらとした科学技術ファンタジーへの、未来への夢。その風景は、そんな欲望と希望を象徴するものとなったのだ。ひたすら、未来を見るための、現在。

少しそれが落ち着いてくると、渦中にあったときはいやでいやでたまらなかった、抜け出したかったその親世代の価値観が風刺され原風景的な絶対の懐かしさのヴェールで覆われ、カリカチュアされたファッションとなってゆく。(それへの反動が新人類だのサブカルチャーだのDCブランドだのバブルだのいかにも都会的で洗練された、生活感を拭い去ろうとするスノッブな退廃への流れとなったんだけどね。その「昭和」はまだ一般にカリカチュアされるに至っていない。)(換言すればまだ十分な距離ができていない。とらわれている。)

距離が、喉元を過ぎることが、「意味」「物語」には必要なのだ。昭和の位置づけ、意味、そのティピカルなイメージの発生。

渦中にあるとき、主人公であるとき、物語が紡がれているとき、その現場には、物語はない。ただ白熱した現場の行動、動きがあるだけだ。ただ、ありうべき未来への欲望があったから、そうしたかったから、過去を蹴散らす欲望があったから、そう思ったから、そうなってしまったから。…理由は本当はあとからやってくる。すべてが終わってから、そのときのパラダイムの動きが見えてくる。(だけどそれはもしかして純粋に「後からやってくる」のではないかという気もする。換言すれば「後」がうまれてから初めて時代が区切られそこに「差異」が発生する、そのとき生まれ落ちる物語の論理。)

物語は、そこから離れて初めて始まる。昭和の「味」は終わってしばらくしてからじわりとあらわれ出でてきたもの。寝かせて初めて熟成され意味が醸し出されてくる、醸成物。

 *** ***

ますむらひろしという漫画家が好きで作品は殆どすべて読んでいると思うんだが、彼の描くアタゴオルという独自の異世界を描いたシリーズはもうほとんど古典的な名作である。コアなファンがいる。(結構その一人である。いやコアというほどではないか。)(高校の時出会ったんだが、このアタゴオル世界の在り方は、その世界認識の方法は、私の中で世界認識法の正しさの指標となっている。)(作者は宮澤賢治のファンであり、賢治の「岩手→イーハトーブ」になぞらえて自分の故郷「愛宕アタゴオル」で異世界を設定している。)

…そこに「SMELL」という話がある。

アタゴオルいい匂いコンクール」なようなものがあり、瓶詰にされた謎の芳香が圧倒的に優勝する。素晴らしいその芳香。

それは一体何なんだろう、と主人公たちが優勝者の香りを訪ねてゆくと、煙草屋の親父である。銀河の中心から、彼のところにこの香りはやってくる。
「これだよ。吸ってみな。」
と勧められた煙草を吸うと、味も香りもしない。ただその無味無臭の煙が銀河の中へと流れてゆく。

煙草屋の親父が解説する。

「君たちがいい香りだといった香りはな、おれが若いとき吸ったこの煙草の煙だよ。よろこびの夜、悲しみの夜。すった煙草の煙はなんの味も香りもなく銀河の中心に流れていき、何十年かのちにまた戻ってくる。香りを伴って。」

そのときには、渦中にあるときには、味も香りもない。一旦銀河の中心に流れ、積み重なり、その人生の終わりに「物語(意味)」香りとなって戻ってくる。

 

物語は、恣意としてもありうる。自分で選ぶのだ。己の意志で己の描いてきたそれまでの人生の物語を意志的に読み取るのだ。解釈する。

銀河の中心という高次元のブラックボックス、不可知の論理の曼陀羅に一旦投げ上げられ、ときを経て複合した物語のテクストとして戻ってきた、その香りを抱きしめる。

テクストは、いかようにも読み取れるカオス、無限の可能性だ。そして読み取る主体は今の自分なのだ。すべては、自分次第。

過去の物語をどのように読み取るかで現在と未来が規定されてくる。

すべては、終わってから、始まる。そしてなんにもおしまいなんかじゃない。

負けるもんか。
(イヤ負けてるんだけど。)
(でも後悔はない。)
(いいも悪いもない。ENJOY。すべての喜びと哀しみを。)