酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

自信がない。

どうしてこんなに自分に自信がなくて何もかも怖いんだろう。

子供の頃からずっとずっと負け犬人生だった気がする。別に虐待されて育ったわけでもないだろうに。

いつでもおどおどびくびくしている。

背後に立たれるとビビりあがる。

高校入学前の春休み、教科書を買いに行った日の事をよく覚えている。
どかーんと一年分全教科の教科書。

ちらりと眺めて、絶望した。
おだやかに晴れた美しい希望の光にみちた早春の日の午後であった。

机の上にどかーん。

ものすごく難しそうだった。まだ見ぬ物理やら化学やら英語やらなにやら、開いてみたら、ちんぷんかんぷん。何から何まで全部、こんなのこの貧しい頭に入るわけがない。

これ全部勉強するのか?試験とか受けるのか?
パスしないと卒業できないの?

ええええ~、ワシ、落第?!

隣近所世間様の目を非常に気にする学歴大好き母の悲憤慷慨ぶりが脳裏に浮かんだ。大学どころではない。母に押されるであろう烙印、もう日の当たる道を顔を上げて歩けない日陰者、高校落第。

その日は不安の涙にくれながら床に就いた。

 

飛び込んでみたらね、まあなんだかかんだかで何とかなってしまったりするんだよね。結構成績よかったりするんだよね。

トルコで語学学校行ってた時もさ、結構進級試験が厳しくて、落第率5割以上ってことで、もうだめだ、もう落第だ、ああ落第、ひい落第、と、もう試験のたびに激しいストレスだったんだけど、何だか結局ずっと一番でパスしてたんだよね。最初のクラスでは満点で、何十年も教えてて満点とったのってmomongがはじめてよ、って、トルコ語でアイパル先生(素敵な先生だった。)にほめられて大喜びで抱きしめられたりして、すごくうれしかったけど、でもやっぱり試験のたびに今度こそもうダメだ、って頭が真っ白になるのだ、ものすごく激しくリアルに絶望するのだ。

みんなはうまいことやっても私だけはきっと失敗する。

何度なにを頑張って成功したことがあっても、それは自信にならない。これからのことには、やっぱりそのたび本当に新鮮に自信がなくて絶望しているのだ。「もうダメだ、この無能力者め。」と心は呟き続ける。

 

何か書こうと思ったり、食うものやら菓子やら拵えようと思ったり、モノ拵えようとするときも、企画段階では、ぱあっと盛り上がって万能感で夢膨らませるんだけど、いざ始めようとするとき必ずいちいちまずどかーんと絶望する。己の無能無力カラッポぶりをひしひしと感じてしまうのだ。

で、いざ始めてしまうとノってくるとおもしろくなってきちゃったりすると楽しくなってたちまち反転、自信過剰。

できあがったものは「ウチの子が一番」。

ワシの編んだ人形のがずっと可愛い。ワシの書いたもののほうがずっとおもしろい。手にかけた作品は自分の分身、自分そのもの、生きてきた証。自分かわいい。

きっと自分にコドモがいたら、我が脳は、これを全宇宙で最もすぐれた生物として認識することであろう。

それにしても何故こういちいちなんかしようとするたびに「もうダメだ。」って叫ばなくちゃいかんのかね、我が脳よ。すごく疲れるんだよ。

根拠のない自信、やってこい。