酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

サナトリウム

こどものころ、山の上に隔離された療養所で暮らしていたことがある。

確か一年近く。

 

小学校3年の頃か。

喘息の発作がひどくなって常に爆弾抱えた緊張状態、薬漬になって頓服もいい加減効かなくなり、呼吸困難で横たわることもできずクッションを抱きかかえ、ひたすら一晩中苦しみ続け衰弱してゆく我が子の姿に母も参ってしまったんだろう。呼吸がとまりかけて幾度も病院にかつぎこまれた。度重なる学校からの呼び出し。

さまざまな治療法を試し、強い薬もたくさん使った。麻薬的な成分のものも随分摂取していたと思う。

(母はここに「足のサイズは普通なのにチビのまま背が伸びなかったのは、成長期のこの薬のせいなんじゃないかしらねえ。」と私のチビの理由を見出しているが、私は、己のお脳が弱い理由が当時我が幼い脳神経を侵したにちがいないこれら薬物であると解釈している。)

学校もまともに行けなくなって、このままでは進級もできなくなる、ということで、とりあえず進級できるように養護学校の併設されたサナトリウムに入れられたんである。


サナトリウム、というと明治大正の肺病やみの文人とか薄幸の美少女とか線の細いひとたちが静かに文学的に生息する浪漫な退廃美学を思い浮かべる向きもあるかもしれないが、さにあらず。

戸塚ヨットスクールである。(「わかるやつだけわかればいい。」)

親の恋しい小学校低学年~中学年。おやつの恋しい食べ盛り。
すべてを奪われる軍隊か刑務所を思わせる管理された集団生活。強いられる鍛錬。激しい発作を繰り返したために自分は免除されるようになったが、それが確立されるまでは毎日が地獄のような恐怖とストレスであった。子供であるゆえに個としての人権を主張することもできない。徹底した弱者である。

医者のモルモットである。
新鋭の実験的な設備だということで、研究設備が併設されていて、研修医だの研究レポートだののために身体中のデータを計測されさまざまの人体実験をされていた。

親から隔離するというのがひとつの実験的な治療法だということで、最初の三か月だったかな、それくらいは全くの面会謝絶。それ以後もひと月に一度以上の面会は禁止。差し入れも禁止。自分のテリトリーは大部屋の中のひとつのベッドに小さな戸棚。プライバシーもへったくれもない。

自由な放課後、ほっつきまわる、好きに遊ぶ、一人の時間、親に甘える、テレビを見る、妄想する、秘密を持つ、漫画を読む、本を読む。すべては奪われた。

おやつは一日一回、決められた時間内に食堂で一斉に供される。戸棚に個人のコーナーが少し設けられていて、保存できるものはそこにキープしておいて多少塩梅しながら自由時間に食べたりしてもいいようになっていて、当然コドモらの間では、あれこれの好みに応じたヤミ取引が行われ、取引能力に長けた者は巧みにその財産を増やした。映画の中なんかで刑務所や軍隊でもよく見られる、極限状態における不思議な物資調達能力である。

週に一度買い物に行くことが許される。

…病院の売店である。ぞろぞろと列をなして行列してゆくのだ。一回200円まで。300円だったか?とにかく欲しかったチョコレート菓子があと10円、というところで絶対に買えない設定になっていた。今でも忘れられない。夜は幾度もチョコレートの国の夢を見たものだ。

自分の、おやつに対する激しい執着の理由はこの渇望期に由来すると思われる。

 

夜な夜なベッドですすり泣くコドモは大勢いた。
新入りは大抵そうなる。最初の夜の生まれてはじめての孤独と恐怖。通過儀礼

脱走事件も相次いだという。これに関しては噂や憶測や伝説がいろいろとびかっていた。
山の上に位置し、人里からは離れている、コドモの足で徒歩で麓までたどり着くのは困難だったような気がする。おぼろな記憶だけど。

週に一度、週末の夜か。なんだなあれは、自治会というか反省会というか、コドモら全員と施設の職員一同に会した反省会的な集会が催されていた。

わるいごはいねえが、不良行為はないか。不正行為はないか。改善点はないか、生活に乱れはないか。

告げ口大会学級会みたいなもんですな。

ワシなども「momongさんは自由時間に本ばかり読んで皆と遊ばないのでいけないと思います。」

などと糾弾された。自由時間の自由もないのか。
大層な正義が振り回されていた糾弾会である。

 

結果、小学生全学年ひとつの教室で適当にそれぞれ計算ドリルやら漢字ドリルかなんかやって、かたちだけは進級することができたが、そのとき病が完治することはなかった。

一年分の基礎的学習知識の欠如、集団生活への憎悪、ねじけた心根、強固な自分のココロの殻の形成と僻み根性、そしておやつへの偏愛の育成が収穫である。

 

医者は嫌いだ。