色っぽいってなんなんだろうなって時々思う。
清楚な和服女性が後れ毛をかきあげるしぐさ、りゅうとしたスーツ姿のビジネスマンが一日の仕事を終え、ネクタイをゆるめるときのそのしぐさ。
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色っていうと色町とか色情狂とか英雄色を好むとか、性的な身体的な欲望をそそる力、それに関連した下賤な、或いは単に俗なイメージ。性的な魅力、異性を引き付ける動物的な魅力?
…うんにゃ、必ずしもそれには限定されてないように思う。
もう少し広義の。
いわゆる人間的な魅力、というのが精神の側、概念の側に寄り添うものだとすれば、色っぽさっていうのはやっぱり性的な、身体レヴェルの側によって立つものではあるんだけど。
例えば、色即是空、空即是色。
仏教的にシンプルに語義どおり解釈するなら、色は有、現象、存在であり、空は虚無である。
例えば、エロスとタナトス。
シンプルにいえば、生への欲動(性ではない)と死への欲動という対立語。エロスというのはもともと性的なものに限定されない、ピュアな生きる喜び、愛の喜びのようなイメージ。タナトスの反対の意味、すなわち空に対する色と全く同じスタンスにある。
すごく不思議なんである。派生語として精神的なるものと対立するものとしての肉欲的なイメージをもち、更に意味の重点がズレまくってピュアな語感を失い、俗なるもの卑賎なるものというイメージを色濃くその主たる語感として獲得しているという現象が。
どういうことよ。
おそらくそれは、いみじいものである性を禁忌とし管理し抑圧することによる社会システムの発生と密接な関りをもつのであろう。或いは、究極の快楽の追及のために禁忌を想定する意識。いやらしさがなければつまらない、という感覚。味も素っ気もないだろう、ぞくぞくの淫靡な背徳感がなくっちゃ、とかそういう感覚。
人間は退屈すると死んでしまう、退屈するくらいなら死の恐怖をもてあそぶ方を選ぶ、冒険とかスリルとかあえて求める変な生き物だからな。
で、このぞくぞくするスリル、タブーを破る快感、怖いけど楽しいっていうの。これってなんだよ、ってことで。
ぶっちゃけていえば、差異である。
光よ、あれ。
光が生まれた瞬間そこからはみ出たものが闇として分かたれた。光(ロゴス)が、世界が生まれた瞬間とは、差異が生まれた瞬間である。ロゴスがうまれたことによりカオスがうまれた。エロスがうまれたことによりタナトスが派生した。色があるから空が仮定される。一つのものの両端。1がうまれたことにより0と1が分かたれ、永遠の0と1のはざまで世界のすべてがうまれた。
差異という現象こそが「存在」であり「有」である。
それならば、生きること、有への欲動は差異への欲動ということになる。
で、エロス。差異への欲動の基本形。異性。己と異なる性を求める。生命は己と異なる遺伝子を求める。差異を求める。それが次世代というさらなる差異を生み出し生命と現象は世界を存続させしめる絶え間ない差異の発生のダイナミクスを保ち続ける。
退屈は停滞であり死であり虚無である。生命は、世界は、その定義どおりに存続するために手段を選ばず差異のダイナミクス、そのエネルギーを欲望し続ける。異性を、冒険を、感動を、スリルを。それはなんだかアレだな、神が死んだあとにふつふつとわきあがる「力への意志」のようなもの。
さらに、下劣と下賤と卑猥を設定することが、聖なるもの高貴なもの崇高なもの美しいものを差異として生み出す逆説がそこには成立している。すべては、ただ差異のため。有のため、存在と現象のため。
生命は差異としてのその本質をまっとうするために差異を求める。それが欲望のターゲット。魅力。それが生への欲動、エロスの基本形であり、現象としての「色」と直結していく。
でね、よくいわれる色っぽさの条件のひとつ、ゆるみと隙。
これも結局差異である。ONからはみ出た瞬間のビジネスマン、概念でしかとらえていなかったそのひとからはみ出た、一瞬のなまなましい身体性の意外性。ギャップ萌えとかそういうのと一緒。
だからつまり、色「っぽい」っていうのは、差異の「気配の存在」の感覚、っていうとこなんじゃないかな、ウン。
ということで、momongは生まれてこのかた一度も「色っぽい」という評価をいただいたことがないんだが。
どういうこと。