酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

ショーン・タンの絵本 異国への郷愁

友人が絶賛、「クラフト・エヴィング商會吉田篤弘が好きなら絶対気に入ると思う。」と紹介してたので、借りてみたのだ。

遠い町から来た話

遠い町から来た話

ショーン・タン「遠い町から来た話」。

ノスタルジックな色調、くすんだ柔らかな絵柄。

郷愁に満ちたその豊かで静かな詩情。凝ったレイアウト、絵画としてのフォントも含めた絵本としてのトータルな美しさに、まずは、うむうむ、ナルホド、と頷く。

内容は、いくつかの不思議な世界、夢記録の断片のようなお話が集められた短編集である。

ある日我が家の食器棚にやってきた異国からの小さな留学生、エリックの話。
潜水服を着た日本人の幽霊の話。おじいさんの語る、結婚したときの寓意に満ちたエピソードの話、国家によってミサイルを配備することを義務付けられた人々がミサイルを平和な家庭の備品にかえていってしまう話、ひどく環境の悪い国で、家の中に自分たちだけの素敵な秘密の異空間を保持している人々の話、地図のとおり切り落とされた街の果て、世界の果てに行き着く兄弟の休日の冒険の話…

…そこに瀰漫しているのは、世界の果て、終わり、どんづまりの、懐かしく優しい終末感だ。脳の片隅に追いやられ、記憶の果て、時空の果てに追いやられ、ひっそりと夢の中で再生される繊細さ、小さな世界。ドリーム・タイム。

だがそれなのに、そこには寂しさや切なさと同時に、必ずどこか突き抜けたような開放感が仕込まれている。大きな大きな無限、絶対の優しさ、誰にも不当に傷つけられることない微細さがほっと息をつく、優しさにそっと包まれた、その感覚。

各家庭だけの秘密の屋根裏から続く異次元ポケットの「秘密の花園」、いつでも燦々と日の光の降りそそぐその明るい美しい庭のように、個々の心の奥底にひっそりと息づいていた世界のこと、秘密の大切な自分だけの心の自由が放たれる場所のこと…この絵本の魅力の秘密は、その「世界の反転」の逆説にある、と私は思う。

いかなる国家権力も人々の悪意も社会システムも、個々のやわらかなにんげん存在のこころのひだの繊細さを力で圧殺しようとする強大なわろきものもろもろが、決して侵犯することのできない場所。

…さて、ショーン・タンは映像作家でもあり、2010年にはアカデミー短編アニメ賞を受賞している。

The Lost Thing
www.youtube.com


色彩と動きが素晴らしい。
失われた者たちの楽園のシーンのうつくしさに、そこを去ってゆく少年の切なさに、じいんと来る。

…すっかりアニメーションの美しさに感動してしまったので、原作「ロスト・シング」、「アライバル」「レッドツリー」と続けて読む。

「アライバル」は文章をいっさい入れずに描かれた作品で、2008年アングレーム国際コミック・フェスティバル最優秀作品賞、世界幻想文学大賞アーティスト部門、ヒューゴー賞プロ・アーティスト部門、ディトマー賞最優秀芸術部門、アストリッド・リンドグレーン記念文学賞など世界各国で高い評価を受けている絵本だ。

アライバル

アライバル

…例えば「ロスト・シング」の訳者による解説には、著者による「帰るべき場所」「帰属」というテーマへの追求、という言葉がある。理由も意味もなく、ただそこにいる、周囲の有用性から浮き上がりこぼれ落ちてしまった優しい奇妙な迷子という存在のクローズアップに関して。

だがそれはどうか。
この切なさは、彼の作品の持つ逆説のポエジイは、一体「帰属」なのか。

ひっかかっている。

確かにそうだ、と思っている。確かに、ここにあるのは、ある種の強烈な「還るべき場所、ただしいうつくしい場所」、そこへの「帰属」への希求だ。

だから、その「帰属」という概念の内実について考えているのだ。

そこで帰属とはどのような意味をもつタームなのか。

…優れた作品とは、こんなふうに、概念の成立する始源、アルケーの次元にまで心を連れて行ってくれる。その具体、個的な場面から普遍、抽象の場へと自分の頭で辿りながら考えてゆく快楽の機会を与えてくれる、ダイナミクスをもって繋げていってくれる。日常世界に生き生きとしたもの、己が能動として世界に参加し生きているという実感としての「意味」をもたらしてくれる。

(それは例えば、恋をした少女の瞳に世界が全て幸せと意味に満たされて見える現象のようなもの。)

「世界の果て、終わり、どんづまり、懐かしく優しいような終末感。」
帰属の意味のことをファンタスティックで不可思議なこのイメージの切なさの中に考える。

異国への郷愁、というアンビヴァレンツ。
「アライバル」に顕著なこのテーマは、まさにこの逆説を端的に顕している。

これは、故国を覆う脅威、不穏な影(戦争、権力、公害、経済至上主義的な精神の荒廃のイメージ)に追われ、愛する家族から一時離れ、初めての、謎だらけ、不安だらけの地に難民として入国する男の話だ。

右も左もわからない異国の地での不安さ。そして、けれど、ひとつひとつ、新しく世界の不思議な楽しさ、未来への希望と人々の生活感の確かさ、繋がりの暖かさを発見、育んでゆくプロセスが描かれる。

ホーム、故国であるはずだった国は、自分たちを害するものとなった。
そして逃げてきた場所、ふうがわりな異国の地。

アウェー、であるはずのその地が、あるべきただしい還るべき場であったというのがこの物語の構造なのだ。

「ココデハナイドコカ」への夢を人は描く。どこかに理想の地が、天国が、桃源郷が、イデアが、ニライカナイが、ぱらいそが、あるはずだと。

魂の還る場所。
「今いる場所」に囚われた自分、その息苦しさや理不尽やさまざまの悲しみにとらわれた己という存在からの自由を願う心を、遠い町、異国としての世界の異質さへの喜びに見出していこうとする、異国への郷愁。

これが、「異国」「帰属」のアンビヴァレンツの正体なのではないか、と、私は思う。
おそらくは、この「異国」は己の内部に発見していかなければならない神の国のようなものなんだろうな、なんてね。