酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

川上弘美「七夜物語」

七夜物語(上)

七夜物語(上)

七夜物語(下)

七夜物語(下)

読みながら、ずっと感じ続けていた、この「七夜物語」へのちょんびりの違和感について、もそもそ考える。

確かにこれは川上弘美のものなんだけど、充分に面白いんだけど、心理描写や世界へ感受性のありかたも相変わらず素晴らしいんだけど、どうしても、設定された異界に、物足りなさを感じてしまうのだ。ものすごく好きだった、作者初期の素人っぽいけど神がかった底なしの迫力の異界とは異なる「つくられた物語の異界」だ。

(双方同じようにファンタジーと分類されるかもしれないが。)

そして、そのための論理や技巧が非常に際立ってる、という印象。

古典的ファンタジーの形式にのっとった特徴的な構成や、キャラクター、アイテムに、作者ならではの独自の風味を添加した、というような味わいである。

勿論これは、意図的である。
もともとが「七夜物語」という物語の構造を枠組みとして、本の中の、本、物語の中の物語、として、エンデの「果てしない物語」的な構造の枠組みの中で、「現実」と「夜の物語」を行きつ戻りつ、七つの夜を過ごす物語であることが予想されている作品なのであるから。

そして、さよと仄田くんの成長譚としてきれいにジャンル分けできる、この物語全体の流れから、最後に、作者の「言いたいこと」「主張」が、くっきりと浮かび上がってくるようにきっちりとまとめられている。

好きと嫌い、光と影、正しいもの正しくないものを分かたない全体性の大切さ、けれど分かちたい、光のみ得たいと思う寂しさを含んだ心のこと、すべてを、作者一流のまっすぐさできちんと投げだし、提示しつつ、それを、第七夜、光の子と影の子、それを分けてしまう己との闘いのかたちに集約する。


キイとなっている「七夜物語」という本が、読み終わると忘れてしまう不定形の「読者各々の物語の原型」であり、歴代の男女ペアの子供たちに受け継がれてきた世界である、という設定は、魅惑的な切なさをもっている。さよの両親、さよにいのちのうたの口笛を教えてくれた、定時制高校の二人の少年少女。

時間軸をずらしながら、確かに共有したものである世界なのに、そこを卒業してしまった成長してしまった者たちは、再びそこに「現在」する物語を動かす主役として参加することができないのだ。

昼間の現実世界では初めて来たはずの場所に感ずる、夜の世界での体験の、淡い、デジャビュ

冒険を終えた後、さよは、失われた夜の物語の記憶の残滓の中に、時空を超えた深い共有の感覚を感じ取る。そこには、過去から受け継がれてきたという共有、親密でほのかで確かな温もりを、そして未来、次世代へと受け渡し続けてゆくことによって、個としての体験を、閉ざされない永遠で絶対のものへと祈りあげてゆく、という構造が孕まれている。それは、忘却、という寂しさ、決して固形としてつかみ取ることのできない、掴んだ瞬間に真理でなくなってしまう逆説を孕んだ真理の構造そのものであると言ってもよい。

ひと一人の閉じられた一生の物語が、夜の世界の「穴」を穿たれることによって、永遠と、他者へと開かれる、歴史の流れそのもの、生成され続ける物語そのものを生きることと響きあうことができるようになるのだ。

子供が大人になってゆく道筋、人生において、そのときしか得られない、一生を共に行く運命の体験、として、歴代に引き継がれてゆく一冊の本、七夜物語。


構造の勝った作品の強みは、この淡く切ないがスッキリとした意志的な力強さのある読後感だ。

しつこいようだけど、「わからなさ、全体性」を論理として志向しようとするこの構造よりも、わからなさそのものを体現する、夢の世界の不条理そのものをただ写し取っていったものである、川上弘美初期の異界の手触りの方がずっと好きなんだけどね。できたら、このタイプの長編童話、これからどんどんたくさん書いて欲しい。さまざまの趣向を凝らしてほしい。どう転んでも、面白いものになると思うから。