読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

川上弘美「パスタマシーンの幽霊」

パスタマシーンの幽霊

パスタマシーンの幽霊

クラシックに味わいのある魅惑の雑誌「クウネル」に連載されていた作品、短編集。
前作「ざらざら」に出てきた魅力のある登場人物も続編的に登場。

短編集で、ほんのりしつつもさらりと読める、何だかんだで、川上弘美
きちんと余韻と深みをもった味わいの優しさがある。

…最初の三篇だけ、ちょっとネタバレなレビュ。
後のは、恋愛、性愛、家族人間関係テーマの、きれいにまとまった、いかにもよくできた昨今の女流文学、な匂いがあって、ワシには、今ひとつ、の感。この人ならではの、アイディンティティの枠、世界の枠組みを壊し突き抜けてゆくような眼差しの鋭さ、というクセが薄いのだ。

★「海石」

この本の中で、一番好きかもしれぬ。初期川上弘美の強烈な巫女的個性を彷彿させる。

或いはラディカルフェミニズム

柔らかくたおやかに恐ろしい、ずぶずぶと、アイディンティティ、個性の枠を失い、底なし沼に沈みこむような感覚、生命の原初へと引きずり込まれる、フェミナのカオス。

ふとカフカの「異邦人」を思い出す。

「太陽の下の石のように、風のように」まっすぐで嘘のない、「社会に対する異邦人」ムルソー。その、アンチヒューマニズム。〈これは、漱石のいう、「非人情(草枕)」の概念に近いのではないかと思う。)「海の石(いくり)」のネーミングとのシンクロに、ぞくぞくする。

「陸のいきもの」のような、物語システムによる嘘を知らぬ、アイディンティティなどという観念ももたぬ海の生き物、「あたしたち」。

感じる。うつくしい。
食べる。おいしい。

「食べ物を粗末にするのだけは許せないので、あたしはその男の人をすりつぶして食べてしまった。」

残酷、という「人情」の観念は、ない。(非人情)(「不人情」ではない。これは冷酷とは違う。愛情とも相反しない。ただ人情というシステムの外側なのだ。)

海石が海に連れて帰った女の人は、「もうあたしたちの一人になって混じってしまったので、「女の人」ではなく、ただのあたしたちになりました。(中略)あたしたちはすぐにものを忘れるけれど、海石という名だけは、残りました。あの夏からずっと、あたしたちは、全員海石という名になった。」

男性は、この原初の自然/生命界への自己溶解に、同化しにくい。
女性だけがこの枠を越えていってしまう、というなめらかで不気味な展開が、淡々と語られる。

このあまりのまっつぐさ、この禁忌への恐怖と思慕とは、一体、何なんだろう。…カオス、或いは、マトリックスへの、回帰願望か。


★「染谷さん」

なかなかいい味わいがあるのは確か。

嘘だかほんとだか、さっぱりわからない(恐らくどっちでもいい、ってとこが、イイ。)いんちき魅力満載のパンチチパーマおばさんの、染谷さん。

…が、主人公が、染谷さんに勧められ、日常現実のこわばりを、卵を破壊する触感的感覚、その禁忌のぬるぬるで解放するモチーフ(卵って、さまざまの隠喩に溢れている。生命の源泉、未生の世界、異界へと通じる、その生命力のなまなましさ。それを一気に破壊する手触りは、流血に等しいバイオレンスにも似た、恍惚。)は、いかにも流行の女流ブンガク的ステレオタイプに使い古された出来すぎ君エロティシズム解釈な感じで、…趣味としても、私としては、あんまり好みでない。

「いんちき霊感商法」…結構、よござんすねい。

★「銀の指輪」

三木さん、その不器用さは、愛しく切ない。

表向き、きちんとした大人の女、お洒落で高級なブティックで店長の次の仕事を任され、無遅刻無欠勤、黒っぽいタイトな上下に、シルバーの上等そうなアクセサリー、髪はまとめてアップにし、メイクは「きちんとナチュラル」。

…なのに、本当は、いつでも、動揺してばかりいるのだ。

三木さんの「しあわせ」の定義は、動揺しないこと。


動揺しないアートなアクセサリー作家の「わたし」との友愛が、あたたかい。