「ホテルカクタス」や、この「雪子ちゃん」は、あからさまに後者である。(子供向けの本のコーナーにあった。山本容子さんの、お洒落な挿絵。)
子供が読んでもいいし、大人が読んでも、いい、と思う。
ひんやり、不思議な味わいがある。
実にナンセンスにファンタジックな想定だ。
ある日空から降ってくる、命を持った、野生の雪だるまの雪子ちゃん。
おしゃまで単純でつよがりで臆病な、平凡な心をもった、非凡な雪だるま。
自分が生まれてきたときの物語を、目撃者の百合子さんから繰り返し、聞きたがる、己と世界の存在を喜ぶもの。
ひとりで、天から降って、「うまれた」ときから、記憶の中にのみ両親を持つ、という「野生の雪だるま」の生態という、不思議だけれど、どこか本来的な、想定。
記憶の中のお父さんとお母さんに話したいこと、記憶の中の言いつけを守って、なにかをこわがるあまり「凍りついて」しまわないようにじゅうぶん気をつけていることや、「とけちゃう前に」たくさんのものを見ていること。(たき火やつくりものの雪だるまやモモンガやシカやシュークリームや)
夏の間の「休眠」のあと、初雪のときに目をさまし、世界の新鮮さに歓喜する、その朝のひとつひとつの風景のことや。
一生見ることのない夏の夢を、周りの人間たちから与えられ、貝殻や虫取り網、ドライフラワーや果実酒を贈られる、その、夏のイデアのことや。
…ナンセンスとディレッタントの雰囲気を楽しむだけで、いい。
ここで大切なのは、きっと、その、世界の新鮮さを感覚する感性なのだ、と思う。
丁寧に、五感が受け取る毎日の世界の新鮮さを、不思議さを、ひとつひとつ、激しい奇跡として味わう、赤子のようにやわらかなセンス。
あるいは、「存在する」という新鮮な奇跡、その、恩寵という、意識。