酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ「魔法泥棒」

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「この地球のもろもろの技術が、異世界にこっそり盗みとられている!なんとかそれを阻止するべく、魔法使い評議会のメンバーによる異世界襲撃隊が結成された。ところが予定外の事故のせいで、メンバーで生き残ったのは女性五人だけ。そこへ密航者の母子も加わり、地球の魔女たちの奇想天外な襲撃作戦がはじまった。おなじみ英国児童文学の女王ジョーンズの愉快なファンタジー。」

という紹介文。

ハウル」シリーズで、子供向けファンタジー作家として有名になってしまっているけれど、この人のとっても独自の世界観は、すごく不思議で、子供向け、と侮れない物語と世界観の構造の広大さ、構築の見事さ、はまると、とても楽しい。


…これは、大人向け。

ということで、さらにやっぱり、知的に歯ごたえのある面白さ。クレストマンシーシリーズの多次元世界、魔法使いワールドの大人向けヴァージョンに、ハードな海外SFの多次元宇宙要素を重ねたみたいな、硬質なイメージ。

何しろ、ついていくのが大変なくらい、世界はたくさんの物語で複雑で豊かで、波乱万丈、実に、奇想天外、の言葉がしっくりくる。


それにしても、世界の想定に関し、読者に、親切でない。
最初、「?」と思ってしまうと、とっつきにくい。

そうして、けれどそれでも、いや、まさにこの部分で、心憎く、楽しませてくれてしまう。
クローズド・ミステリーの味わい。


…さて、魔法技術と、科学技術という、「人類が世界とコミットする知的技術」二本柱。
(「科学」と「宗教」が、人間が「真理」に至るための二つの車輪だという、誰かの言葉を思い出しますね。)

イングランドの魔法組織の幹部が気付く。
これが、両方とも、どこかの異世界(パラレル宇宙)に、盗み取られているらしい!

しかも、地球上の、もろもろの戦争や技術的な問題(原発事故や温暖化)が、彼ら異界の者たちのスパイ行為と魔法技術によって、故意に引き起こされ、その解決のための対応技術を盗み取る、という卑劣なやりかたで。


…ということで、秘密裡に組織された魔女たちによる襲撃隊が、これを阻止するべく、異界へと進入大作戦を開始する。

というのが物語の大筋の始まりなのだけど、この人の作品の特徴は、最初に、たくさんの場面で、伏線が網の目のように張り巡らされ、何だかなあ、と、謎をかかえたまま、まったり読んでいくうちに、後半部、ぐんぐんとスピードを上げてすべてがひとつにまとまり、発熱してゆくようなアクションとともに、各々の謎が次々と紐解かれ、複合的に展開し、ことんことんと大団円に向かって解決してゆく、その興奮度を盛り上げてゆく物語展開で、あれよあれよと巻き込まれてしまう。このジェットコースター的な動き、読者の、当初の「ふん、こういう物語展開になるのかな」的な侮りを、ゴンゴン裏切って、更なる高みの次元宇宙へと目を開かせ、ぶち抜いていくような、抜群に新鮮な面白さなんである。

簡単にいうと、その大きなアクションの展開点は、異界の、厳しい戒律、様式化による官能の禁忌と、その裏側の腐敗した魔法組織(僧院)の中で、そこに進入した地球の魔女たちが、歌と踊り、おいしいもの、その官能、「喜びの解放」によって、「本当は喜びたがっていた世界」の波動を、魔法の力として嵐のように巻き起こし、アルス(僧院組織惑星)全体に革命を起こしてしまうところにある。大僧正たちがみな、何もかも投げ出して、魔女と一緒に歌い踊りだすシーンは、圧巻、ワクワクしてしまう愉快さである。



登場人物の個性の強さも、素晴らしく魅力的だ。

どこにも、ステレオタイプのない、すべての人物が、欠点や嫌なところやもどかしいところ、愛すべきところをもった、魅力と欠陥だらけのキャラクター。


皆、いきいきと個性的ではあるけれど、なかんづく、グラディスおばあちゃんは、実に素晴らしい。
ヤマモモ、ツボである。

キャラクターとしては、いかにも、賢人、の趣を湛えている。
ちっとも誇示しない強大な魔法の力と気取らない服装センス(…一般的に、ひどいセンス、と言われるレヴェル。)何もにも脅かされない倫理と知性(強大な魔法の力をコントロールする力を持つ、ということは、世界からなんらかのエネルギイ、「力」を汲みだす力、換言すれば、それは「自然界のエネルギイ」を具現する力としてのメタファであり、「神」「精霊」的なものとして解釈される。その力が強大であるということは、優れた「知性」を必然的に伴うものであるのは理の当然であると考えられる。野生のままの魔法と繋がり、それをコントロールできない、ジーラのような「野生の女性・性」、また、悪役のレディの欲望のままの魔法もまた、ひとつの魔法の異なるフェイズである。)(男性の扱う魔法は、「首座」と組織化された「アルス」の魔法に代表されるように、それらを様式化・儀式化した段階、フェイズを持つ。)、そして、ひどく人間的な優しさとユーモア。

もさもさした格好をして、猫だらけの家に住み、猫のことや、お茶のこと、つぶれかけたチキンパイだのインゲンマメだののことばかりかまけているような、未亡人の一人暮らしおばあちゃん。

…何しろ、ものすごくかっこいいのだ。
NHK「おじゃるまる」のタナカヨシコを髣髴とさせる、堂々たるかっこよさである。

若い美人であることによって、男性を魅惑する必要もなく、失うことを恐れるものも、またそれ以上を望むべきものも、既にない。誰に負債を抱えることもない。どのようなかたちによっても、誰かを欲し、愛情を求め、支配する必要もない。誰かの機嫌をとって頼る必要もない、何も恐れるもののない、完全なる自立と誇りによる、自由と解放と世界へのまっすぐな明るいまなざし、それによってはじめて成り立つ、揺らがない倫理と、他者への、与える愛、ピュアな優しさ。

大筋の物語展開の中で、(たくさんの登場人物がそれぞれ複眼的にドラマをおりなしているんだけど。)主人公らしき女性、潜在的に巨大な魔力をもっているのに、トラウマのために発揮できず、魅力的な若い美女なのに、不幸の陰を背負った未婚の母、ジーラが、この世界と異界との間で、母の呪いによって存在を二分割されていた、異界での領主の息子(王子様だ)との純愛を成就させ、幸福を得る、この主筋のカップルよりも、「グラディスおばちゃん」が、この世界では失ってしまった相方のドッペルゲンガーを、異界での情けない、カタブツ首座(悪しき男性原理、権力主義の権化のような)に見出し、「あんた、胃をなおさなくちゃね。」(あまりにもカタブツな大僧正だったために、「おいしいもの」を憎み、あえてまずいものしか食べない人物なんである。)なんてつぶやきながら、カタブツだったがために彼の犯した罪を、ただ哀れみ、許し、共に暮らすために、なだめて連れ帰る、このカップルの方が、ずっと魅惑的だったりするのだ。

よく、少女漫画や恋愛ドラマで、美男美女主人公カップルの脇筋で、「ちょっと落ちる」親友カップルや親世代のほのぼのカップルなんかが引き立て役で登場するけど、この場合はもう、本筋の王道のカップルよりも、ずっとずっと魅力があるところが、さすがさすが、のオトナの味わい!だなあ、なんて思うんである。